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#104 「教員として〜」という言葉を安易に使ってはならない

私たちは

記号として生きているわけではない。

最近私自身が意識していることです。

私たちは社会において様々な「記号」を与えられます。

日本人、教員、生徒、大人、子供、社会人、親、保護者、会社員などなど

「〇〇として〜、」は日常の中でしばしば耳にするフレーズです。

もちろん、その「記号」を自分自身に当てはめることによって、自分の行動理念が明確になる利点もあります。

一方、それは他者に強制的に当てはめられるものではありません。

「〇〇として〜、」という言葉用いることで

自分自身の意見や価値観に対する思考の停止に繋がることや、他者に対する自身の価値観の押し付けになる可能性があることを意識することが大切でしょう。

例えば

「剛」と名前がついた人がいたとします。
保護者の方は、その子が「剛」として生きて欲しいと思ったのだと思います。

だからといって、その人が「剛」のような人生を歩まなければならない

ということは決してありません。

「柔」でも全然いいじゃないですか。

私たちは決して

他者から与えられた「記号」

で生きるわけではないのです。

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