人間は、存在することそのものに価値がある
「人格は揺らぐ」に続く、人間について考えるシリーズ第2弾です。
今日は、「人間の存在価値」がテーマです。
1.社会的役割を果たすことの大切さ
私たち人間は社会的動物なので、社会運営に必要な様々な役割を各自が引き受けて生きています。
特に、コロナ禍の中で、ごみ収集、公共交通機関の運行、宅配便その他の運輸など、普段はあまり目を向けられることのない役割が社会生活を支えるエッセンシャルな仕事だということが、くっきり浮かび上がりました。
この件に関して、二人の政治家のツイートを引用します。
これらのツイートのスレッドで発信した方たちがnoteに登場することを望まない可能性があるので、画像を切り取って貼り付けます。
まず、オバマ元大統領から。
オバマ元大統領は、食料品店の店員さん、運送業に従事する方たち、公的交通機関の運行者さんたちを、挙げています。
次は、ドイツのメルケル首相です。2020年3月18日のテレビ演説中の一節を引用します。
《引用》
さてここで、感謝される機会が日頃あまりにも少ない方々にも、謝意を述べたいと思います。スーパーのレジ係や商品棚の補充担当として働く皆さんは、現下の状況において最も大変な仕事の一つを担っています。皆さんが、人々のために働いてくださり、社会生活の機能を維持してくださっていることに、感謝を申し上げます。
《引用おわり》
テレビ演説本体のURLは、こちらです⇒
https://japan.diplo.de/ja-ja/themen/politik/-/2331262
私は企業人向けの研修教材作成というコロナ禍の中では、まったくエッセンシャルでない仕事をしている人間ですが、もし、私の仕事に対して一国のリーダーからこのような感謝の言葉をもらったら、奮い立たずにいられないと思います。
社会的な役割を果たし、それを社会に認められることは、私たちの生きがいの中で非常に大きな部分を占めています。
しかし、このことに、思いがけない落とし穴が潜んでいるのです。
2.「やりがいの搾取」
2016年に、新垣結衣さん、星野源さんの共演で大ヒットした『逃げるは恥だが役に立つ』を覚えていらっしゃる方も多いと思います。
あのドラマの中で、新垣結衣さん演じる 森山みくり は、地元の商店街から「友達だから」、「勉強になるから」、「あなたの為だから」という理屈でタダ働きを迫られ、「それは『やりがいの搾取』です」と断固抵抗します。
こちらの記事をご参照ください。https://news.livedoor.com/article/detail/12417208/
ちなみに、森山みくり は、主婦の家事労働が無給であることについても「好きの搾取」だと違和感を表明します。私は男性なのでハッとさせられましが、自分をミクリの立場に置いてみると、ものすごくまっとうなな意見であると思いました。
話を社会的役割に戻します。
社会的な役割を果たし、それを社会に認められることは、私たちの生きがいの中で非常に大きな部分を占めます。
であるがゆえに、社会は、私たちのそのような心理につけこんで、私たちを社会の道具として酷使することができるのです。
これが、私が言いたいことです。
企業での過労死裁判の判例を読んだことがあります。
亡くなった方(Aさんとします)は、働きぶりを上司から高く評価され、Aさん自身も期待に応えようと強い義務感を持って働いていました。
私は、上司が意識的にAさんの強い義務感を搾取したとは思いません。
成り行きで「仕事をする/仕事ができる Aさん」に仕事が集中していったのでしょう。いずこの職場でもありがちなことです。
あくまで私の推測ですが、Aさんは、与えられる仕事が増えることを自分の職場での役割が評価されている証と考え、それを働き甲斐にして、ますます頑張ったのではないでしょうか。
上司にはAさんに過負荷をかけているという認識はありました。「大丈夫か?」と声かけをしています。
しかし、義務感の強いAさんが上司に「もう無理です」と答えることはありませんでした。
そして、ついにAさんは過労死してしまいます。結果的にAさんは「やりがいの搾取」を受け、死に追い込まれてしまったのです。
私は、このような「やりがいの搾取」を、小説投稿サイトNOVEL DAYSに連載したSF小説『アメリカ国防総省/人間兵器番号20185山科アオイ』の中で採り上げました。
小説のサイトはこちらです:https://novel.daysneo.com/works/748e8f6f7523d2c1eb2e21a900b8b382.html
上のツイートに対応するのはエピソード6「山科アオイは『傷モノ』か?」です。
3.人間の存在価値
人間が社会的存在である以上、社会での役割を果たす必要があり、それは生きがいにつながるものです。
それにも関わらず、自分が社会での役割を果たすために存在すると思い込むのは、とても危険なことです。
人間は、存在することそのものに、価値があるのです。
このことを、私は、小説投稿サイトNOVEL DAYSに連載したファンタジー小説『クローン・キャスト茜(失意、そして、新たな門出)』で採り上げました。
主人公、茜は、失意を乗り越え、次の結論に到達します。
《引用》
茜は、日本昔話を演じるための遺伝子改造クローンとして生み出された。だから、日本昔話を演じる以外に自分の存在価値はないと、思っていた。
しかし、それは、茜が生きている価値は、日本が消滅するのを防ぐ道具として機能することだけにある――そう考えるのと、同じではないだろうか?
その考えは、本当に正しいのだろうか? 「私が生きていること=クローン・キャストとして機能すること」ではないのではないか? だから、クローン・キャストであり続けることが私が生きていることを食いつぶして、私を病に追い込んだ。それが真実ではないだろうか?
《引用おわり》
小説のサイトはこちらです:
https://novel.daysneo.com/works/8b976e49a56155e86f7383a1adc005ca.html
私たちがお互いを「何が出来る人だから」ではなく、ただ「人間だから」というだけで尊重し合える世の中になることを、心から祈りつつ、筆を置きます。
〈おわり〉