私は教員にしっかり発達支援の知識、技術、経験はあったほうがいいと思ってるし、それは教育の一部だとも考える
「健常、障害のあるお子さんも育児の大変で差なんてないよ」というのは 元支援者の立場からは 「大変度」の差は確かにあります とても「同じ」、「差がない」と言えないなぁ… それが言えるのは「知らない」ということ 「知らない」ことを自分の評価で軽々に言葉にするものではないのです
支援の失敗、支援の悪用とは 「クールダウン部屋」が「お仕置き部屋」になったり 「視覚支援のカード」は「絶対聞かなければならない命令カード」になったり 「合理的配慮」を「自分にも合理的配慮はないんですか」と揚げ足をとったり そういったことを簡単に起こしえます
「子育てに正解はありません」 誰かの正解は、誰かの不正解 上り坂は、誰かの下り坂 正解を求める姿勢はとてもいいです ただ、子どもの「個別性」を置き去りにした正解はないのです
30人~40人の生徒を集めて一つの教室に押し込めて やれ不登校は良くないだの やれ修学旅行や遠足だけきてずるいだの お世話係に任命するだの その日だけ登校するなだの 教員も親側も随分勝手な大人に育ってますね 軽蔑の対象です
「障害」「健常」関係なく「関わりたくない人」は存在するし「関わりたい人」も存在する