「発達障害」という言葉がラベル付けのように感じられることがありますが しかし、誰かが「発達障害かも?」と考えることで、その背景に理解を持とうとするならば、それ自体はポジティブな取り組みです 単純に「やめてほしい」と反発するのは、他者の可能性や学びの機会を拒絶することになります
我々の得た知識や技術や経験は「全て子ども、ご家族」のために還元するためにある 癇癪を起こしている教員 のためにあるのでは断じてない 勝手にそれをみて成長するならそれも良し あなた達を温かく見守って成長を促すものではないし何十年経っても成長しないのにまだ猶予があると?
基本的に 「めんどくさいからやらないでおこう」 という思考、行動が 「もっとめんどくさいことになる」ということをわすれなく
アインシュタインやナポレオンが発達障害だった という話は興味ないですけど それを支えた身近な人の伝記とかがあったらびっくりするほど読みたい
「やっぱり多様性は駄目だった」じゃないんだよ 「多様性」を「見ないように、聞こえないようにする蓋」として雑に扱ってたから 「多様性」を捨てなければならなくなった という話であって、 「尊重されるべきものが尊重される社会」は依然継続されなければならないんだよ
お子さんの行動に介入する際は行動を点ではなく、線でみることが重要なのです