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保育・療育を保護者と一緒に考える必要性
私は児童発達支援センター働く児童発達支援管理責任者です。
子ども保育のことや発達支援の事を考えるのは当然ですが、もう一つ大切な内容が家族支援。
家族支援といっても幅が広いのですが、具体的には母親フォローが、圧倒的に多いのが実情です。
話をしてみると父親だって苦しんでいるのは事実ですが、社会実情は「子育て=母親」の構図はゆるいでいませんからね。
結局のところ家では母親と子ども(障害児)の関係性で生活をすることになる。
環境だって、施設のように整っているわけではなく、危険だってある。
そして、母親は療育者ではないので互いの関係性がトラブルを巻き起こすことだってある。
これは母親が悪いとか子供に問題があるとかそういう捉え方ではなく、単純に現状をまずは支援諸側は軸を母親に当てて話を聞くことがスタートとなる。
「発達障害のお子さんは〇〇したほうが良いですよ」なんて、テンプレ的な話をしてもそれが叶わないから困っている。
家庭の状況や夫婦の形、環境、などなどいろいろなことが絡み合っているのが、家庭生活である。
一方施設というは、環境から職員から障害を持っている特性に合わせた対応ができるところなので、ある意味上手く対応できて当たり前の場所である。
なので、自分施設内で出来ることが大切なのではなく、一般化と言って「いつでもどこでも誰とでも」ある程度の力を発揮できるように発達支援を行うことが重要になる。
この、一般化ができてこそ障害を持っていても社会で生きていける「力」を育むという意味になる。
支援者の意図通りに、座ったり、跳んだり、字を書いたり・・・することや出来ることが必ずしも「〇」とならないのがこの世界の難しいところである。
では、どのように考え、発達支援や保育を行えばよいのか?
それは、自分たちの保育や発達支援だけで満足しないこと。
母親を中心に家でも子どもが力を発揮できるように、話を繰り返し行う事はとても重要な項目なる。
何度も繰り返し子どもを中心に、家族の子育てとしての思いを大切にしながら、私たち支援者のスキルを活かして「何ができるのか考え提供する」のがプロだとも思う。
それから、障害を持っている子どもであれば、他の相談員や他の児童発達や市の療育関係など情報を共有しながら、多角的に見ることが出来れば尚更知らない事実が見え、発見がある。
なぜ、ここまで家族との連携を重視するのかというと、結局は児童発達支援なんて通過施設である。
その先は、家族が障害をもっている子どもの世話をしていく。
それは、自分の子どもだから「当たり前である」
でも、そこに苦しさややりにくさがあるから、子どももその家族が少しでも幸せに、そして楽しく生きていくための方法を伝え、「この子どもと一緒に生活をして生きていける勇気を与えることが出来る」と思ってもらうことが幼児期の障害受容の時期を乗り越え、小学校という学童期へ入っていけるのではないかと思う。
私も含めて、たくさんの保育・療育者・発達支援の方々に言います。
その支援は自己満足に陥っていませんか?
誰のための支援ですか?
そのゴールは、本当にその子どもの為であり、家族のための為のものになっていますか?