生きる意味ってのは、問うものではない。自分の存在をかけて問われているのだ。だから、生きる意味ってなんだろう、なんのために生きているんだろうとか考えることはやめとけ。自分の存在をもって、生きる意味の問いに自ら答えろ。
石井有人へのオマージュ そしてなお 扉を叩く 生きるとは 報連相(ほうれんそう) 確認かくにん また相談
雨が降ってかなしくて ひとりでもさみしくて 曇り空でもむなしくて 生きているのもつらくて わたしは何がしたいのか 詩人のように振る舞って 生きがいを探してる でも目先の欲に囚われて もっと大きく視野を広げなさいと 言われてしまう 何を食べても砂を噛むよう
若い頃、有能で効率的な人間が価値が高いと考えていた。 働いてみて自分がちっともそうではないと分かってガッカリした。じゃあどうやって生きて行けばいいんだ? 能力と効率を経験と思考で積み重ね試行錯誤の先にあったのが子どもらの不登校で、また「生きるとは?」みたいな図になったんだ。
自分が自分に思っていたことを 他者も同じように認識していた、 ただそれだけなんだけど 地獄界から冥界くらいまでの無数の感情が湧き出て、いまも、グツグツしてる。 「思考に生きてるよね」 卒論、がんばろうんこ
生きることは宝探し。 自分の中にある宝を見つける旅をすること。 どこにどんな宝があるかはわからない。 見つけられるかもわからない。 でも必ずある。 宝は見つけてもらえるのを待っている。