未熟な位置で、命を語るな したがき
夢は諦めるものではない。
夢は、現実を知る貴重な経験の一つなのだ。
世界一周がしたい、世界一の○○が欲しい、色々と夢を語ればキリがない。
けど、それを我慢や諦めるのも人間の現実だ。
金が無いから、時間が無いから、そんな事は皆ある。
色々ある。それぞれある。事情がある。生活がある。責任がある。人生がある。言い訳ではなく、現実として理由がある。
そこでどうしても自分で考えて、それをどうするかを決める。
そこで間違った選択や過ちを犯して痛い目を見るのも人生。
上手くいったり、成功して、次にどうしていくのかを考える。
次は失敗して、さて、どうなるか。
一生安泰や、安定志向(意識)は人間の成長を止める気が僕はする。
維持する事も大変なのだ。必死で、何とか耐え凌いで、乗り越えて、絶望や壁にぶつかって、また立ち直す、やり直す、改めて責任を果たす。
ここで人間としての力や性が試され続けるのだと思う。
苦しいような話に聞こえるがそこまで大したことではない。
心の真ん中に、そっと忘れなければいい。
大切な事は自分で考えて忘れないようにすればいい。
その考えたことが、社会から認められずに、他人から非難されても。
それはそれ。
それがその人の人間性と言われる部分だ。
だから人間は大人になるにつれて、絶対に避けては通れない事。
それは「人からどう評価されてどう生きていくか」だ。
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人の目を気にして、ではない。
人間は他者ありきの生物だ。社会の中で生きている。
だから、他者や社会から拒絶や否定される事をしていれば、自ずと自らの生活や人生を狂わせていくと思う。
だから気を使うと言うのではなく、考えなければならないのだ。
自分の姿が、自分の立ち位置が、自分の言動が。
自分(自分の人生、生活、家族、仕事、責任)に関係する人たちに、どう影響を与えるのか。
これは自分軸や他人軸では一切ない。
人間として生きる上では、社会人としては絶対に避けては通れない現実なのだ。
夢が人殺し。
夢が獄潰し。
夢が人気者。
夢が金持ち。
それを叶えるために払う犠牲や懸かる危険性を理解しているのだろうか。
火遊びで火傷しても、死ぬなよ。殺すなよ。
落ちても落ちる所まで落ちてもそのまま棄てられて死んでいく人間がいる事を理解していないと人は過ちや間違いを起こし続ける。
それだけだと思った。
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・・
歌を歌わなくなって。
寂しい気持ちになる時がある。
無性にというのではないのかもしれない、自分が無欲、無力かしたような、遠い気持ちになる。
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人間としてのレベルが合わない人とは長く続かない。
それを何度も何度も、死にたくなるほど、嫌ほど、飽きるほど、言葉がもう出ないほど経験して理解した。
知識と知性のレベル。常識と見識のレベル。
人間性、人間力の内面のレベル。
上を見ろ。類は友を呼ぶ。
生きている世界や、レベルが違う人と付き合ってもお互いに負の感情や違和感しか生まれない。産まれない。
これも遺伝、環境要因から経る経験、学びに影響されると思う。
やっぱり蛙の子は蛙で、鳶が鷹を産む。
やっぱり7:3くらいなものだ。
餓鬼で幼稚なうちは、解っているかのように講釈や言葉並べたがるけれど、それ、知的レベルが低いだけだ。
馬鹿だから気が付かないだけだ。
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そこは相手にしない、そことはもう付き合わない。
笑って、適当に気まぐれで挨拶するくらいが、ちょうどいい。
世の中には色んな人や人間が産まれているから。
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夢を見た。
夢は必ず忘れる。
忘れないうちに今日は書く。
僕は夢の中で、日中と同じことを考え同じ事を言い同じ事をしていた。
「命をかけろ」
・・
僕は大学生の頃の日記を見てた。
親や家族ではなく、母に対して
「一日でも早く死んでくれ」
「生きていても死んでも、僕にとっては呪いでしかない」
「だから早く死んでくれ。消えてくれ」
そう毎日祈っていた。
変な事だと思う。
・・
死にたいと思っても死ねなかった。当たり前だ。
リストカットなんて僕は出来なかった。
一度や二度はやろうとしたけれど、無理だった。当たり前だ。
そもそも、そうやってするものじゃない。
そんな考えや感じで気楽にするようなものでもない。
僕の周りには確かに重度の自傷癖はいた。
僕の当時のODや、絶食や過食、怪我をする(痛みを伴う行為)、毛を抜く、これらの行為も実は自傷に入る。
痛みや苦しみ(苦しむ事)に、自分から飛び込む。
だから僕は傷が絶えない。
そして、痛みから逃れられずにいる。
常に悲しんでいる。
これが、僕が
「自分から不幸の泉に飛び込んで行っている」
と言われる所以だ。
・・
夢の内容。
完全に開き直り、悪びれる様子もなく、自論全開で堂々と僕を悪者にしている奴がいた。
目が覚めて。
僕が日中に苦しんでいる事を夢の中でも同じことを言っていた。
僕は、僕も含めて
「命をかけろ(覚悟をしろ)」
と言っている事に気が付いた。
・
夢にまで出てくるほど、僕は今これについて苦しんでいる。
悩んでいる。
それは僕の視点からモノを言わせてもらうと。
みんな、僕の優しさに甘んじているのだ。
僕が何もしない、何も出来ないだろう、という見込みの上、それぞれが生きているのだ。好き勝手に動いているのだ。
僕はそう思っている。
・・
色々ある。
他にも、数えるくらいの死んでも許さない事から、僕も同じように、やれるもんならと、やっている事(やっていた事)があるだろう。
僕が気が付いていないだけで、見たくないから目を背けているだけで。
周りからは見えている事があると思う。
・・
・・
法律上は問題が無くても、嘘をついていたり、どこかやましい部分があれば、その仕事はいずれ無くなる可能性が高い。
何故なら、今の時代、これからの時代は、どんどん噓がバレるから。
そういう話。
でも、僕は少しそれは違うと思う。
今でもインターネット上には、嘘ではないけれど、法律的に言えばそうではあるけども、現実社会ではその通りにはなっていない。
世の中、社会の中には、暗黙の領域で成り立っている事が多い。
・
それをこれからは全部バレます、公平でクリーンな社会になりますと言うのは違うと思う。
人間が皆、法律通り、公平平等に正しく行い、ルールやモラル、マナーも守るような時代になるなら。
人間はここまで争ったり、苦しみ、殺し合うような事は
ここまで無いと思う。
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僕が告訴、裁判沙汰にすれば。
僕がデータや証拠書類を提出すれば。
それをどこに出すか次第で、それぞれの処罰や処分が変わってくる。
僕が被害届を出す、あるいは、回収できるように動けば、嫌でも金は回収される。
お金に関しては、全員、持っていない、稼げない訳ではない。
僕次第だという事は変わらない。
ようは僕の気持ちが半端者だから、どれに対しても決定に出来ていないだけ。
だから、僕の甘さ、半端さに甘んじ過ぎていると僕は言いたい。
これは自分にも刺している。刺さっている。
いつも、当然、それも理解している。
SASU-YOU
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・・
最近、断った僕の仕事。
はっきりいえば、名義貸しの要素があったから断った。
僕が知らない職種(工務系)の会社をしないか、引き継いで管理しないかという話だった。
わかりにくくなるけど、守秘義務や言ってはいけない話ではない。
一応、僕も気にしているので、こういう書き方になる事を理解してほしい。
僕の所に来た時点。
・前科か過去に傷がある、優秀な(仕事をかなり取ってくる)営業マンがいる。
・ただその営業に会社を任せると、会社のお金に限らず不安がある。
・そこで、変な事をしてないか、僕が監視する形で役職について欲しい
・そして最後に「名義貸し」みたいな形でもいい
と話が回って来た。
僕は
「それだと僕がその仕事についての知識が無いから、僕が騙されますよ」
「何か変なことがあっても、僕ではリフォームの仕事内容について解らないから不信(不穏)な事があっても、気が付けないと思う。その営業マンに騙されて足元救われる可能性があります」
そう頑張って返答すると
「そこまで言われたら、こっちはノータッチやから」
「そうなった時の責任とかは取れないから」
というので、
ああ、この人はやっぱり変わらないなあ、と思いながら断った。
ちなみに少し前、人を騙すときや嵌める時、騙す側は相手が難色を示した際に、しつこく説明や説得にかかるタイプと、「あっ、そう」と上記のようにあっさり離れる(こちら側から手を放す)タイプがある。
この人は、僕と出会った頃から後者。
一度僕もそれで変な事になって問題になった事がある。
当時の事を書くと、個人情報や守秘義務みたいな事に触れてしまう事なので書かない。
その後、その人は、僕には関係はないけれど、僕が紹介した人間を利用したことがある。
僕が紹介した彼にも問題があった。彼自身が子供(未熟)で、故に起こしてしまった問題でもある。
ただ、僕が言える事は、いつまでも泥水ではなくドブ水をすすって生きるような生活や人生からは離れるべきだと僕は思う。考える。
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・・
自己啓発が嫌いな理由。
僕が今、見えている自己啓発が好きな人たち。
単純に、その自己啓発を受けているその人が好きではないからだ。
自己啓発と言っても、占いやスピリチュアルもある。
「それとは違う」「一緒にするな」
と言いながらも、主張している内容が僕から見れば目に見えないものが多いから僕は笑えない。
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○○の時代とか言うのも実は好きじゃない。
例えば、風の時代、巡り合わせ引き寄せ、とか言うけど。
むしろ、出逢いが無い時代があるなら、それはその人の問題だと思う。
時代や世界のせいにするなと思う僕(自分)がいる。
・
それは、自発的に物事を考えて、自分から動いていれば巡り合わせは偶発的に起きる、と僕が思っているからだ。信じたいからだ。
でも今の僕はこうも言う。
目に見えないものを信じて、すがるようにするのは、狂気。
それは信心の世界から、狂信の話までを含む、そう僕は考える。
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僕は宗教も、信心も一切否定しない。
けど、中には笑ってしまうけど、真剣な眼差しで。
「私は龍使いの」とか「天使様が」とか言っている人もいる。
・
僕はそういう人たちはいつも
「瞳孔開きっぱなし(ガンギマリ)」
と揶揄している。
・
別に何を信じて何にすがるのも自由だけど、他人から
「私は龍使いです」
とか言われたら
「この人は頭がおかしい人なのかな」
と思う。
それか今なら
「まあ、辛い事でもあるんだろうな」
と思う。
でも、その場の僕の笑顔から、自分がどう思われて見られているかくらいは気が付けよと思う。
それに気が付かないのが「歪み」だと思う。
そして僕も同じような事を、信心とは別の事でしている、していたと思う。
・・
例えば僕の問題点でいえば、スーツを着ていない(スーツを正しく綺麗に着られない)事は誰だって解る僕の課題。悪い部分だ。
あと、社会人として、言葉使いも正しく出来ていないと思う。
今まで、自分が出来ていない事を、自分で正当化しようとしていたから、変われなかったのだ。
けれど、他人は、社会は、そう甘くはない。優しくも見てもらえない。
これが現実。
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僕は信じる力の偉大さや異常性も経験して知っている。
信心というのは宗教だけじゃない。
人は皆、何かを好み、何かを信じ、何かに依存している。
だから信仰は「力」にはなると思う。
・・
僕は、自己啓発が嫌いなのでは無くて、自己啓発を受けたり学びながら、その人自身がしている行いが嫌いなのだ。やっと見えてきた。
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レベルを合わせなければ、生き辛さ、負の連鎖からは逃げられない。
レベルを合わせると言う言葉の僕の中のここでの意味は。
下を見てたらキリが無いし、上を見てもきりが無いと言うけれど。
一生、人間の下を見続けて、自分より下と思う人間と付き合い関わる事を好み求めている様では、自分のレベルを上げる機会が弱い、と言いたいだけだった。
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・・
昨日、その時になれば権利を譲りますよ、と僕がいうと、
「そんな馬鹿さっさと放っておいて、ちゃんとした事業で稼ぐのが一番」
という話になり、僕も未来を少し見た。
久しぶりに美味しい焼き肉を食べた。
固まっていたのは、涙が出そうな気がしたから。
こんなに良い肉なんて、前回、あの子が帰ってきた時以来だ。
・
結局また何もせずに、自分のしたい事と、ただタバコ吸って寝て、また大阪に帰るだけの人間に、東京焼肉と言う金がかかる焼き肉屋に行かれて、金を使わされて、挙句
「(僕が)そんな態度で、私が帰ってきたいと思える訳がない!」
と自分がしている事、この一年半してきた事。約束。
自分では「解っています」と言っていた事すらも都合よく解釈して、自分は悪くないと言い切って逃げた奴と食べた以来だ。
・
「殺すぞ」
とここで書けば、僕への印象や日記を読んだ人の感想は変わると思う。
僕は今それを考えて、誰も殺しませんよ、と補足説明しておく。
どっちでもいい。最悪な言葉。
どうでもいい。どっちでもいい。
僕の道は今は変わらない。
・・
僕らは、守るものがある、守るべきものがあるという事。
・・
だから、そんな三下以下の人間、愚図の相手なんかしてないで、さっさと次の話をしよう、となった。
・・
中二病、メンヘラ、黒歴史、ポエムが受けるのは、いつの時代でもそうだと思う。
週刊誌やゴシップ記事の他人の不幸や他人の悪口を人間が好むようなものと同レベル。
その無知で愚かな、その浅はかさを、芸術や文化のように語るな。餓鬼が。
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・・
過去は今の為にあるのだ、あったのだと。
そう言える日が来れば、笑える日が来るのだと思う。
僕の世界が救われる事は、「いざ」、やって解っている。
つい「赦すか、許されるか」と考えてしまうけど、どうしたって生きていくしか無いのが人間だ。
それを理解出来ずにいる事を未熟だと言うのだと思えるようにもなった。
ちなみに「死にたがり」、それは悪趣味コンテンツみたいなもの。
に延々とハマり続けると、泥沼、地獄絵図だと思う。
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「もしも話が好き」という人がいた。
僕は両方の意見を持つ。
上手く言葉に出来ないのだけど。
僕は、僕が、これから、生きる道を変えられると良いな、と思う。
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僕がいつも同じことを言っているように見えると思う。
日記だけ見ればそうだと思う。
結局は、ここで書いている事が僕にとっては大切な事や大事な事で、そこが報われていないから、延々とここで苦しみ続けているのだ。
そして、それをここで書いているからそうなる。
それに、思った事を書き続けられるのなら、書いておく方が良い。
思いついた事の中に、大事な事や、何かに生かせる事があるかもしれない。
それなのに忘れて終う。
だからアウトプットし続ける事は大事だと思うのだ。
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アンタが死ぬ頃には、俺はおらんよ。