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生きている証を記してみる
思い立ったが吉日。宙ぶらりんに浮かんでる今を、好きになれない今を、苦しいばかりの今を、なんとなく残しておきたくなった。軽い遺書みたいなものだろうか。
もし今、何かあっても何も残らないのは確実で…本来、日記を書くのも見返すのも少し苦手。楽しい事だけなら残しておいてもいいけど、苦しいが多い日常をどうしても記録に残しておくことに躊躇いがあった。
分かりやすく言えば、社会不適合者、アダルトチルドレン、躁鬱、心的外傷後ストレス障害…笑えるほどに人としてのマイナスばかりを抱える。他人軸で生きすぎてきてしまった為に長い時間をかけて心が壊れてしまった。きっかけは幾つもあって、一つ一つ取り除こうとしても、その原因のほとんどが過去にあり、既に他界してしまった人間や取り戻せない事柄が原因の場合、心を正常に戻す事はかなり困難だ。
心療内科への通院歴も10年を超えた。薬を長く服用する事の弊害も分かっている。薬に頼っても頼らなくてもどうしたって死が近い。
脳の病気と分かってきている事が少し救いでもある。ああ、だからか…って。心の問題としてしまうとただ弱い人間だとレッテルを貼られる。だんだんその偏見もひと昔前より無くなってきているけど、まだまだ。普通に生きれる人には理解されない。理解してほしいとも思わなくなった。だけど、あまりに人権を無視した言い方をされる事も未だにあって、その度に、いっそ死んでしまえば楽だなーって。結局、他人軸なのだ。
優しい子だねーお姉ちゃんだから偉いねーって子供の頃から言われてきた。ただ、我慢をしていい子でいただけお姉ちゃんだから我がままを言わなかっただけ。言いたい事の半分も言えず、我がままの90%を弟へと取られてきた。別にそれで泣いたりもしなかったし、そんなものかと小さい時から割りきっていた。記憶にあるのは幼稚園の時、もうその時から諦めを覚えた。なんて悲しいんだろう、、と40を超えた今思う。
駄々をこねていい時期に我慢を強いられ、歯を食いしばっていた。こんな園児気の毒でしかないよね。それなりに愛情はかけてもらったし感謝もしている。でも最後の最後まで不幸を背負わせて両親は早々天国へ行ってしまった。ずるいとさえ思う。苦しかっただろう辛かっただろう、あの時こうしてあげられてたら…その後悔は消えないし今でも両親が好きだ。
でもね、20歳を迎えたすぐに連帯保証人になれと言った父親。生活の為、お前たちの為だと言った言葉。そして20歳の子には到底支払えないほどの金額の借金を背負い、今より規制が緩かった時代もあり大柄の黒スーツを着た男に脅迫まがいな電話、直接の脅しも何度も受け(まるでドラマの世界)耐えきれずに自己破産。ここでまず男性恐怖症になった。大きい声を出す、大柄な男性、見るだけで震えるようになった。でも仕方がないとここでも割りきった。まだ20代前半だったからだ。いつかは報われると思っていたから。
でも、違った。父が病気で亡くなったあとすぐ母も首を吊って死んだのだ。意味が分からない。負の遺産だけ残して全て押し付けて残された子供がどんな思いで今後の人生を送るのか一ミリも考えなかったのかって。
母の無残な姿を一番に発見したのは娘の私だ。
心配で心配で探し回って、母は実家の階段で亡くなっていた。
苦しかったんだろう、寂しかったんだろう、どうしようもなかったんだろう、母のした事に対して責める気持ちにもなれないし、かといって、肯定も出来ない。母を愛しく思う気持ちとトラウマになるような光景を娘に見せ絶望に叩き落したこの矛盾した気持ちをずーっと抱えたままなんだ。10年以上経っても。
毎年毎年、山のように自分で命を絶つ人が後を絶たない。私もメンタルダウンを起こし働けなくなり動けず這いつくばってお手洗いに行くそんな時もあって毎日、死というものと対峙していた。だから自ら死を選ぶ人を責める事も出来ない。でも、残された家族や大切な人が大きな傷を抱え苦しみながら生きていく事も知っている自分は、矛盾だらけの感情と戦い、希望と絶望の乖離に悩まされる。
言い方が悪いかもしれないけど、借金がたんまりあっても人に迷惑かけまくってもヘラヘラ元気に生きている人もいる。いっそそういう人になれたらと思う。
輪廻転生があるなら、今度は人ではなく植物に生まれたいと願ってる。無駄に知能が高いせいで争い妬み無駄に苦しむそんな人ってなんなんだろうなーと。私、前世ではどんな業を背負っていたんだろ。
母の死をきっかけに死生観が大きく変わった。物の分別はつく方だと思っていて、変な新興宗教にハマる事も何かに縋りつく事もなかったけど、お釈迦様の言葉を書いた本だけはお守りのように持っている。
きっと良い人生になる、そう信じた若いころ…その一生懸命さは全部、他人に搾取されていく。搾取され続けからっぽになった自分に残されたのは底辺の暮らしと、誰かが自分の前からいなくなる恐怖からくる人と一緒に住む事も大事な人を作る事もできないむなしい人生。
1人でいる寂しさより、誰かを失う喪失感とパニックに陥るのがこわい。そして何より、家族から裏切られる恐怖。何度も何度も味わったあの絶望感。もう嫌なんだ。
ただただ、子供の頃の夢に描いた…幸せになりたい、好きな人と一緒にいたい。そんな高望みもない小さな幸せすら手が届かない。
自分だけが不幸だとも思っていないし、もっと大変な思いをされている人もいるって分かってる。自分のキャパシティーが狭いのだ。
こんな感情のまま支離滅裂に書きなぐってしまったのがスタートになるなんてね、笑う。でも、また思いのままに書き綴ってみようと思ってる。きっと同じような人もいるだろうから。こんな自分でもなんとか生きていますっていう証です。