見出し画像

生きたいのに生きれない人VS死にたいのに死ねない人

「最期を選ぶ〜安楽死のない国で 私たちは〜」という番組を見た。
めちゃくちゃ考えさせられた。
なので自分の考えを書いてみる。

ご存知の通り日本では安楽死は認められていない。死にたいが為にスイスやその他安楽死が認められている国に行き命を終える。そんなお話。

自殺大国日本。
東京の電車はしょっちゅう人身事故で止まるしお金がかかったとしてもホームドアをつけざるを得ない。なぜなら自殺は減らないから。

もちろん安楽死は誰でも気軽に出来るわけではない。耐えがたい苦痛があったり治る見込みのない重い病気があったり治す薬がなかったり色々条件はある。
とは言え自分の最期を自分で決める事にどう寄り添えばいいのかわからない。

ASLの嘱託殺人が記憶に新しいがこの病気の人のように動けなかったり食事が1人で出来なかったりはたまた話す事が出来なかったり、そして症状が悪化していく中で痛みも伴いどうする事も出来ない。想像出来ない辛さだと思う。
そして自殺すら誰かに協力してもらわないと出来ない。私ならどうするか。「殺してくれ」と毎日誰かに頼むかもしれない。

日本人はこう考える人が多い。
「苦労をしてこそ、痛みに耐えてこそ得る物がある」
「我慢する事が美徳」
「辛い思いをした人ほど人間として素晴らしい」
この民族性というか気質が根強いので安楽死の議論も進展しないのではないかと思う。

私は嫌いな言葉がある。
「お腹を痛めて生んだ子なんだからかわいいでしょ?」
「痛めても痛めなくてもかわいいわ!!!」
と言いたくなる。
最近でこそ無痛分娩や和痛分娩をする人も増えているが欧米では普通の事。

どうしても日本人は「我慢=美徳」が抜けきらない。

だから当事者がいくら死にたい、辛い、痛いと家族に言っても「どんな姿でも最後まで生きて」という家族のエゴに振り回される事になる。死にたいというエゴと生きていてほしいというエゴの戦いだ。

家族に何て言われようと自分の最期は自分で決めたい。
とてもよくわかる。

死にたいからって勝手に死んで残された私達の事も考えてよ!
それもよくわかる。

とっても難しい問題だと思う。

その番組の中で外国人のおばあちゃんが安楽死をする前にシャンパンで乾杯して好きな曲を聴きながら死んでいったけど周りの家族は号泣でなんとも言えない気持ちになった。
自分の思い通りに死ねて幸せな人だなと思う反面、こんなに周りが悲しんでいるのに自分勝手だなと思ったりもする。

では安楽死が正義でホーム飛び込みが悪かと言うとそうでもないと思う。
自分で自分の命を断つという行為自体は同じ事。

結論なんて出ない。
でもこうやって考える人達が増えれば社会が変わっていくかもしれない。

みなさんはどう思いますか?


私の記事が必要な人に届いて欲しい! サポートよろしくお願いします🤲