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【本の紹介】『生きるとは、自分の物語をつくること』(小川洋子・河合隼雄)


今よりももう少し若かったころ、
自分の現実を受け入れることができなくなった時期があり、
ちょっと遠くに行きたくなりました。

新幹線に乗る前に、
時間があったので駅の売店で本を見ていると、背表紙のこのことばが目に入りました。

『生きるとは、自分の物語をつくること』

レジでお金を払ってバッグに入れました。

静かで落ち着ける喫茶店か、
人のまばらな河原のベンチのようなところで読みたいと思ったので、
新幹線の中では開けませんでした。

新幹線の中では、
生きるとは、自分の物語をつくること
ということばの意味を考えていました。

到着した先で、とてもいい感じの喫茶店を見つけたので入ってみました。

天井の高い、ジャズが静かに流れている喫茶店でした。

美味しいコーヒーをいただきながら
本を開きました。

ゆっくりゆっくり
読みました。

『博士の愛した数式』の著者 小川洋子さんと、かの河合隼雄さんの対談です。

河合隼雄さんは、この連載対談の終了を待たずにお亡くなりになりました。

ですから、小川洋子さんによる「あとがき」が妙に長いのです。

そのあとがきのなかで、小川さんはこのようなことを書いています。

あなたは何のために小説を書くのですか、と問われるのが苦痛でなりませんでした。
(略)
書くことの意味を明確にイメージできないでいる自分の未熟さがさらけ出されるようで怖かったのです。

『生きるとは、自分の物語をつくること』あとがき

河合隼雄さんと対談をすることで、小川洋子さんは自分が物語を書く意味を自ら見つけます。
河合隼雄さんがその答えを教えるのではなく。
小川洋子さんが見つけた答えとはこのようなものです。

人は生きていくうえで難しい現実をどうやって受け入れていくかということに直面した時に、それをありのままの形では到底受け入れがたいので、自分の心の形に合うように、その人なりに現実を物語化して記憶にしていくという作業を、必ずやっていると思うんです。

小説で一人の人間を表現しようとするとき、作家は、その人がそれまで積み重ねてきた記憶を、言葉の形、お話の形で取り出して、再確認するために書いているという気がします。

『生きるとは、自分の物語をつくること』

私は、思いました。

そうか。
受け入れがたい現実を、
自分の心が受け入れられる形の物語にして、みんなようやく生きているのかもしれないな。

同じ現実を生きたとしても、作る物語によって全く違う人生になるのかもな。

自分を許せる物語を作りたいな。


帰りの新幹線に乗りながら、私は自分を少し許してやりました。
(「続く」かもしれない)





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