コーヒーのおいしさを測る指標に「純度」というものがある。濁りのないコーヒーほどいいと言われる。いわゆる雑味が濁りの原因。実際には暗室でライトを当ててみないとわからないのだけど、こうして光が当たると純度が高そうに見えるのは僕だけではないはず。視覚効果によるおいしさの表現も大事。
恐ろしいのは、自分のものだと思っている欲望に社会的世間的な「善」や「得」が混ざっている可能性がかなり高いこと 混ざっているっていうか、掛け合わせ 自分の好み×社会的価値=自分の欲 みたいになってる 違う、それは純粋な自分の欲ではない 少なくとも分けた方がいい
だから、「いい人」でいたい人は、他人に対して「優し」くあるために、曖昧にさせるために、隠されているものを見ないために、自分でわざと視界に霧をかける。クリアにしたくないから。見てしまうと対処を迫られるから。「わからないまま」がいいのだ。曖昧さ、クリアでなさも、きちんと選ばれた結果。