どうぶつの森の住民との会話にて思うこと。
「あつまれどうぶつの森」を遊んでいて思うのが、住民たち昔に比べて丸くなったよなぁと。
見た目の話じゃないです。性格の話。
僕が最初にやったどうぶつの森はゲームキューブの「どうぶつの森+」なんですが、あの頃の住民ってなかなかいい性格してるんですよ。
悪い意味で。
お金とか、持っている物とか容赦無く奪ってくるときあるし、結構毒吐いてくるんです。普通に。
あと、なんか絶妙によくわからない話をしてくるんですよね。
現実でありそうで、ありえない話。
なんの深みもない、当たり障りのない会話。
だから住民と喋っていると「こいつ…」とか「何言ってんだ?」みたいな感想が出てくる。
ですけどね、それがいいんですよね。
なんか会話したなぁって思うし、割とガチ目に友達だなぁと住民に対して感じるんです。
リアルな友達の距離感。
ちょっと濁っているというか、プレイヤーの心を刺してくるというか。
この会話の違和感や抵抗感が面白いと思うのです。
こう、生きているような感覚というか、平面の触れない画面の世界が、立体的にまるで手触りを感じるような感覚。
この面白さを知っていると、ちょっと最新作の住民たちの会話が物足りなく感じてしまったり。
なんか綺麗すぎてスーッと抜けていってしまうような。
もちろん「あつ森」には「あつ森」の面白さがあるので、だからつまらない!ってわけでは全然ないんですけど。
でもこの「濁り」ってゲームにおいて大事だと思うんです。
ドラクエにおける急に出てくる「ぱふぱふ」というちょっとよくわからないエッチな要素とか。
モンハンにおける、初心者クエストに乱入してくるリオレウスとか。
たまごっちのキャラクターがウンコしたり、ほっとくし死んだりするとか。
濁ってりゃいいわけではありませんが、何でもかんでも綺麗にしすぎるとスカスカになってしまうのも事実。
むしろどのような「美しい濁り」を見せてくれるかが遊び、ゲームにおいて重要なんじゃないかとも思いました。
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