オオシマ
作曲まとめ。
作った遊びです。
面白いことをやろうとすればするほど面白くなくなる。 面白さを企めば企むほど、現れてくるのは面白さではなく企みの部分である。 そういう裏の企みが見えるほど、見てる側は冷める。 自分が感じていた純粋な面白さが、一気にただのゴミのように見えてくる。 面白さはそれが何者なのかよくわからないくらいが丁度いい。 面白くありたければ面白さを考えちゃいけない。 いたって普通に、平凡に、そのまま出さなければならない。 何も装わず出せたとき、それがスタートとなる。 何かを出せば、何かしらが返っ
1 色・味・感じなどが、あっさりしているさま。淡泊なさま。 2 態度・動作などが、あっさりしてこだわりがないさま。 3 水が静かに揺れ動くさま。
進んでしようとして、奮いたつ。はりきる。
長い間制作を続けていた『キメキメラ』という遊びが完成した。 今回は、その完成した遊びについて紹介させていただきたいと思う。 ーーーーー □ 概 要 『キメキメラ』は、2枚のカードで一対となり、そのカードの組み合わせで様々なキメラをつくることができるカードゲームである。 カードには対となるカードが存在し、そのカードを接続面で合わせると、現存する動物の絵が浮かび上がる。(犬とか、マグロとか) しかし、組み合わせは対となるカードでなくとも、全てのカードでも合わせることがで
おそれる。おどろく。
人が「遊ぶ」ことで、それが「遊び」になる。 日常的には「遊び」という言葉でまとめて括られがちだが、遊びについて考えていくとき、この「遊ぶ」と「遊び」というのは分けて向き合わないと全くもって何も見えてこないと思っている。 そして、遊びにおいて重要なのは、遊びを行う対象ではなく、「遊ぶ」という行為そのものなんじゃないかと思う。 人が持っている根源的な能力で、ただの石ころであろうとその人が「遊ぶ」を見出したとき、その石ころは「遊び」へと昇華される。 逆に言えば、どんなおもちゃで
家の廊下を歩いているとき、いきなり白く周りが光り、一体何事かと驚いた。 その日は大雨が降っていたため、雷かと思ったが、廊下に窓はないし、光った割にその時間差でやってくる音も聞こえなかった。 困惑している中、動きを感知して付くはずの廊下の電球がつかないことに気づく。 どうやら、ちょうど電球が力尽きる瞬間を目撃したようだった。 その体験が妙に面白くて、ついテンションをあげながら母に電球がきれたことを伝えた。 その後、新しい電球が購入され、取り付けられたのだが、その電球の光の色が
父がオリンピックのサッカーの試合を観ていた。 それはもう近所迷惑になっているんじゃないかと、不安になるほど盛り上がっていた。 僕もサッカーの試合を観るのは好きだが、こうもやかましい人がいると楽しめないので、そそくさと自分の部屋に退散し、うっすら聞こえる父の声から試合の状況を把握していた。 それにしても父は楽しそうである。 応援というより、ほとんど罵声であり、一見怒ってるように見えるが、なんだか楽しそうである。 「観戦」とは「戦いを観る」って意味だろうけど、あの様子じゃむしろ
ある晴れた暑い夏の日のこと。 Aの野郎とBの野郎が、川沿いを歩いていたました。 そんな何でない2人の目の前に、いきなり空き缶ほどの大きさを持つ、デッカいアリが現れます。 2人は同時に足を止め、その嘘のような現実に釘付けになります。 「…あれって、アリだよな?」 先に口に開いたのはAの野郎でした。 Aの野郎は、Bの野郎に顔を向けず、じっとでっかいアリを見つめたまま、Bの野郎に問いかけました。 「特徴からして、アリで間違い無いな。大きさ以外は。」 神妙な面持ちでBの野郎は答え
人と話しているとき、なにか冗談を言いたくなる。 もう少し言ってしまうと、冗談を言える人でありたいと思っている。 会話を成立させることに頭を動かしつつ、なにか面白い冗談になるような素材とか、それを言うタイミングとかを探している自分もいる。 それは、話している相手に面白い人と思われたいという、他人からの自分のの評価を上げたいという理由もあるが、それとは別に、会話の質を上げるためにも冗談というのは必要なのではないかとも思っている。 別に冗談がなくとも面白い会話って成立する。 む
まず、「ポケットモンスター 」というゲームシリーズにおける面白さの根源は「冒険」だと思う。 ポケモン のストーリーというのは、シリーズによって異なる。 でも.全てに言えることは「ジムバッチ8個を獲得する」ことで、そのために「8つの町をめぐる」ということである。 ポケモンはさまざまな要素が複雑に絡んだゲームであるが、究極的に言えば「8つの町をめぐる」というゲームなのである。 もう少し詳しく説明すると、この遊びは大きく分けて「道」と「町」で分けられる。 プレイヤーは次の町へ
小雨が降っていた日に散歩をしていた時、側溝を流れる緩やかな水の流れに目がいった。 水の流れというのはどうも魅力的で、ボーッと眺めたくなってくる。 この無心に見れてしまう動きというのは色々あるが、その中でも水というのは特別強いように思う。 川とか最高だ。 こういう見惚れることのできる動きというのはなんなのだろうか? 前々から抱えている疑問であり、そういうこともあって、側溝の流れに食いついてしまった。 眺めていると、ふと近くにあった石ころが目に入った。 その石ころを側溝の中に投
遊びの興味のあるメンバーと遊びについて話し合う「遊びを語り会」。 その第二回が開催されました。 その話し合いの中で個人的に一番興味深かったテーマが「遊びと仕事」についてでした。 話し合っているメンバー3人は成人済みで、それぞれの仕事をしています。(自分はだいぶ特殊ですが) そうなるとやはり仕事の話が多くなります。 大変なことも、辛いことも、逆に面白いことも、嬉しいこともあります。 そんな仕事というのは遊びの目線から考えると何者なのでしょうか。 ーーーーー 遊びという言葉
先日、「遊び」に興味を持つ3人でお話をする機会がありました。 1人はだっきーさん。 発達心理学から遊びを捉えている方で、今は障害者の福祉支援の支援員をやられています。 もう1人はゆーだいさん。 ゆーだいさんの方は教育から遊びを捉えている方で、今は保育士として活動されています。 お二人は以前から個々で関わりがあり、遊びについてお話してきたのですが、今回はだっきーさんから3人でお話してみないかとお誘いをしていただき実現することができました。 --- 3時間ほどみっちり遊
遊びと聞くとどうしても不真面目な要素を強く感じてしまう。 そのことは間違ってはいないんだろうけど、その一言でまとめられるほど単純なものではないと思う。 むしろ遊びの構造というのはものすごく「真面目」である。 遊びが真面目でなければ、遊び手は不真面目になることはできない。 遊ぶ人と遊ぶを作る人の考え方は全くもって違う。 トランプの構造を見てみるとよくわかる。 まず1から13の並んだ数字の列がある。 これは一本の線と言えよう。 カード1枚は点だ。 これだけだと一方向しか線は伸び