自然の気
自然という言葉があります。高度に発達・複雑化した現代社会において、自然は人の心を癒し、そして再び前を向かせてくれる貴重な存在となっています。
これが一般的な自然観ですが、私にはどうもこの自然観が合いません。なぜならば、私を含めた人間の身体そのものが自然のものだからです。私はいつも自分の自然に従うように心がけていますが、確かに、周りの大人を見ていると、世間にもまれ、自然がどんどん身体の奥深くに抑圧されるている風を感じます。
私もまだ子ども(~高校生)だった頃は、そのような大人を見てひどく怖がっていましたが、大人になった今は、自然に従う生き方を自分で選ぶことができるという信念のもと、自分の自然を大事に(その自然に従って)生きています。
では、この時私たちが感じている「自然」とは何でしょうか。緑豊かで川がせせらいでいる「一般的な自然」とどう違うのでしょうか。私の考えを述べます。
「自然の気」の導入
自然を知るには「子ども」を見るとよい
私たちが感じている「自然」とは、平たく言えば「自分らしさ」や「ありのまま」なのですが、これでは雲をつかむような感じがあり、取っ掛かりもないため難しいですね。
そこで、「自分らしさの達人」について考えてみます。それは子どもです。
子どものする行動は突飛であるにもかかわらず、どこか理に適っています。この絶妙なバランスを平然と保てるのは、子どもが自身の自然に従っているからなのでしょう。
子どもの行動は、ある時は論理的で、ある時は感覚的、ある時は芸術的、ある時は本能的です。しかし子どもはそのようなことは考えません。こう考えると、子どもの行動を「論理的」「芸術的」のように分類している大人のほうが不自然であると気付きます。
大人は分類や経験、つまり情報で考えますが、子どもは自然のままにふるまいます。ここが決定的な違いのようです。
勿論、子どもがそのように自然にふるまえるのは、無数の大人たちの尽力があってのことなのですが、これについては後で考えようと思います。
では、一旦情報化されてしまった大人はもう自然に従えないのでしょうか。それについて、安直に「NO」と言わずに、少し考えてみましょう。
自然の気
『裸の王様』という話をご存知でしょうか。下記サイトよりそのあらすじを引用します:
「ばか者には見えない」服を着た王様を見た王様、および家来や観衆も、裸の王様を見て、子どもの思うこと -「何にも着ていないよ!」- を必ず思うことでしょう。しかし、ここでは「ばか者」となってしまうことのほうが困った問題なので、皆が王様を歓呼したのでした。
この時、皆が思ったであろうこと -王様は何も着ていない- は真実であったのでした。この時に人々に働いたこの「思い」は自然のなせる業です。
喉のすぐ下まで出かかっていたこの思いこそが自然なのだとすれば・・・、これを人間における「自然」の姿であると考えたほうが良いです。
この場合、これは「直感」に他なりませんが、人間における自然には、単なる「直感」よりも広い営みが存在します。ここではそれを「気」のような物と考えて、それを「自然の気」と呼んでみます。
先ほど、「子どもの行動は、ある時は論理的で、ある時は感覚的、ある時は芸術的、ある時は本能的です。」と述べました。これは、子どもが自身の自然の気を行動として表に透過しているからだと理解できます。子どもの突飛で理に適った行動の数々は、自然の気の躍動そのものなのです。
対して大人は、自然の気を常に制御して、表に出すことを調節する必要があるといえそうです。なんとなく気が晴れない、つまらない、というのは、おそらくこれが理由なのではないでしょうか。
ふと外を歩いてみると、ガザニアの花が咲き、テントウムシが日光を浴び、ツマグロヒョウモンという蝶の幼虫がスミレを食べています。こうした生き物もまた自然の気をもち、そして生き物は自然の気に従って生きているのでしょう。つまり、自然の気に従って生きるというのは、生物にとっての幸福なのでしょうね。
大人になってから、頭だけが疲れ、様々なことにくよくよと悩むことが増えたと感じたこともありました。これは、今思えば何ら無理もない話です。自身の自然の気に従えていなかったからです。
幸福の形は個々人で違ってよいです。しかし、生き物として幸福なのは、自然の気に従った生き方なのでしょう。
「自然の気」の理解
自然の気の濁り
お金があることが幸せ、美味しいものを食べられることが幸せ、家族が元気でいることが幸せ、・・・。幸せの形は様々です。ちなみに私は、物理学を楽しめていることが幸せです。
しかし、仮に「人を困らせることが幸せ」という人がいたとすれば・・・。この「幸せ」は実現しないでしょう。もしそうした幸せを実現させたいと願えば、それは自身のうちに抑圧しなければならなくなり、苦しいです。
今述べたのは極端な例ですが、こうしたことはここまで極端でなくとも、ある程度はあるはずです。例えば、誰かにとてもひどいことをされた時は、その人なんかいなくなれば良い、と思ってしまうこともあるかもしれません。その時、そう思っている当事者は、「その人を困らせたい」という、前述したことと同じ考えを抱えています。
つまり、人は環境や状況次第で「人を困らせることが幸せ」のような状態になってしまうことがあるということです。お金がないことで困っている人であれば、意識せずとも人間不信になったり、何でもお金に見えてしまったりすることがあるものです(貧すれば鈍ずる)。
このようになってしまうと、普通にしていても出て来る考えや思いが幾分か歓迎されないものになってしまいます。人はこれを指して「汚れている」というのかもしれませんが、この「汚れ」は、自然の気の濁りと考えられそうです。
濁った自然の気は、外に出すことができなくなってしまいます。したがって、中に封じ込めておくほかなくなってしまい、苦しくなってしまいます。東洋医学でいう「気滞(きたい)」です。
このように、自然の気は環境や状況で濁ることがあります。
以下に自然の気を濁らせる主な原因を列挙します:
①恨みや憎しみ
②不信感
③生活の乱れ(運動不足や暴飲暴食など)
④自信のなさ(自己肯定感の欠如)
⑤心を亡くしている状態(多忙など)
自然の気の浄化
このことは逆も言えそうです。自然の気は、環境や状況を正せば「浄化」できるのです。
自然の気を浄化させる習慣や環境は次の通りです:
①掃除や片づけ
②自然な笑顔
③癒し
④楽しみ、熱中
⑤感謝、(良い意味での)感動
なお、これらは自然の気がある程度浄化されていなければ難しいこともあります。例えば②はその例で、無理に笑おうとすると苦しいだけです。笑いたくない時は、笑いたくないという「自然の気」を大事にして下さい。
また、自然の気はその名前に「自然」とあるように、意志の力で浄化できるようなものではありません。自分の力で浄化させるのではなく、心がほぐれたり楽しめたりするような「環境」に身を置き、間接的に自然の気を浄化させる以外には、今のところ方法はないです。
これは、園芸の好きな方ならばイメージできることと思います。植物は、日光が当たるほうへと向こうとします(「屈光性」と言うようです)。そのため、屋内(窓際など)で植木鉢を一方向に置いて植物を育てている場合、植物は太陽のほうを向いて曲がってしまいます。
このとき、この曲がりを治すために、植木鉢を逆の方向に向けておくことと思います。これが「環境を介して自然の気を浄化する」ことに対応します。この時に植物を手で曲げようものならば、植物は折れてしまいます。これが「自然の気を意志でコントロールする」ことに対応します。
自然の気は、一朝一夕に浄化できるようなものではありません。ある時から時間をかけて濁っていったのならば、それと同じように、浄化するのもまた時間をかける必要があります。そのため、
[1]まずは自然の気を濁らせる原因を除く
[2]楽しいことや癒しを自分にあげてみる
[3]自然の気を浄化するような環境を考える
というプロセスを経るのが良いと思います。
自然の気は誰にでもある
この節の最後に、大事なことを述べます。自然の気は誰にでもある、ということです。
人は一見すると社会性の殻を被っているため、自然の気がないように見えることもありますが、自然の気は生きている限り誰しも持っています。それも、子どものころと同じほどに、です。
私は、曲を聴くと自然の気を感じます。曲のメロディーは、自然の気がまだすぐそばにあったころ(子どものころや楽しい時など)の感覚を思い出させてくれるのです。自然の気がない、というのは、どんな素晴らしい曲や思い出の曲を聴いても、そうした感覚を全く感じなくなればそうなのかもしれません。しかし、こと私に関して言えば、そうなったことは今まで一度もありませんでした。
私は、まだ心が子どもだったころ、大人になると自然の気は封印・抑圧され、やがてなくなってしまうものだ、と思って怖がっていた時期がありました。そうなってしまった人はもはやロボットも同然で、私はそれを指して「ヒト化」と呼んで怖がっていました。「あの人はヒト化されている」ー。
今思えば、あの時言っていた「ヒト化」というのは、自然の気を失った人なのではなく、自然の気を忘れてしまった人を言うのだと思います。自然の気を抑圧、制御、加工することに慣れすぎたため、その存在を自覚できなくなってしまった人のことです。
「ヒト化」されていても、自然の気はあります。ただ忘れているだけです。私は、これからも自身の自然の気に従い、またその変化に敏感であるようにあり続けたいです。
「自然の気」の発展
最後の章では、自然の気についてやや発展的なことを私の目線から述べていきます。
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