bandshijin
音楽ブログ『∴bandshijin∵』の記事を紹介する記事集。
詩的で私的なタイムライン。
くらしをテーマにしたエッセイほか
上・中・下の句がそれぞれ5・7・5の音数を持った形式(例外あり)の短詩集。
5・7・5・7・7 31ツの変拍子 短歌
手紙って時間差がすあるメディアです。「郵送したよ」とLINEで報告してから受取人がブツを待つなんてシーンも日常。来るかどうか、いつ来るのかも確定なしに来て欲しい想いで郵便屋さんの姿を熱い眼差しで見送る日々。涙ぐましいものですが時間とプロセスの幅、質量・質感で優るトキメキがあります。
ラ・パルメッラ:蝶々、くるりの新曲にもらった連綿とアレンジされる悲哀と恋慕へのタグを少したぐって音に浸ります。音博、楽しみです。行けない人も、ヘッドフォンとか手持ちの一番良い環境で目を閉じて聴いてみてください。凄いです。
くるりの2007年のアルバム収録曲『ブレーメン』ですが2001年発表でくるりの代表曲の1つ『ばらの花』と共通のモチーフ「ばら」が登場。芽吹きの奇跡、古今東西を違えて輪廻再誕する歓喜の象徴が『ブレーメン』の一節と思えるのです。
テーマソング作りなどにおいては特定のモチーフを使いに行く意識がプロダクションにつきものと思います。作家の自由な創作においては無意識に自己から滲み出す共通のモチーフが身の周りで房を成すこともあるかと。そのモチーフは、まさに作家のアバターだと思うのです。
虫唾がマイクロフォンを伝ってホット・コールド・グラウンドを走る。筆ペンは筆なのかペンなのかはっきりしろ。風に舞うお好み焼きの鰹節か茄子の煮浸しに添える椎茸干しか、先に見つけたいずれかにガラスの靴を落とす養女を託そう。
楽曲まるごと渾身のウィット、ジョークみたいな真実のエンタメ愛。キーワードのエボシ岩、チャコ、ミーコ、ピーナッツについておさらい。涙で揺らぐ視界を表現したような意図を感じる音像の妙味に感服。
毎週やってくる日曜日。ルーティンがないから何があったか忘れてしまうのか? あるいはそれでも強烈に残る出来事があれば曜日は関係ないでしょう。多くのアーティストが題材にして歌う日曜日。高田渡さんのアプローチは……正直で何気なくて、日常の中にある旅のよう。
断捨離が嫌いだ。そこにその物体がある歴史や背景に私はトキメく。価値がない不要物などない。己が成長変化しこれからその価値に気付く資源なのだ。断つな、つながれ。捨てるな、拾え。離すな、近寄ってみろ……(断捨離への理解不足による誤解かもしれないが)
前髪は天然の日除け
歌ったり曲作ったりすること自体がSSWのペルソナの保証です。どうせならもっと色んな仮面をかぶってみたい。酒がうまいとか飯がうまいとかから、そんなん誰がわかんねんってやつまで。素顔がわからなくなるくらいにね!
何気ないことであっても、忘れないように。
モテキの疾走する森山さんを脳内反芻。キレッキレの轟音は街の喧騒と心臓の生理の重ね合わせ。埋め尽くすリズムのギターリフに無呼吸ダッシュを強いられる気分。サビボーカルのブルーノート最高。永遠にカッコ良い曲。
はっとするような音程の移ろいや響きの緩急。昨日と今日のはざまを揺らぎ、つなぐいつ聴いても世界の時事ネタであり続ける名曲、The Beatles『Yesterday』リスニングメモ。今さら? いえいえ、今から。何度でも。
何故にトライアングル哀しそう
積年のアイラブユーにアンチする歌手あらわれしそれにアンチす
井上陽水さんの歌に感じる「冷たさ」。現実の裏面を射抜く清涼感。等価交換の原則すら顔パスした絶対領域。鑑賞中だけは何者でもないことを赦され、歓迎される。「音楽=自己表現」への最たるカウンター。