「道理」というのは、それぞれの時代にふさわしい「道理」がある一方で、ただその変化を導く、いわば大きな道理というのでしょうか。その根本道理みたいなものも、一方では想定するものである 「大道理」「小道理」という分け方をしていたのだろうか
■片づくマインド・名言シェア358 過(あや)まれるを改むる善の、これより大きなる無し。 慈円(天台宗の僧) 1155年5月17日生 過ちを犯してしまうことは誰にでもある。自分が被害者の時に加害者を許すのは難しい善。でも自分が加害者だと悟って改めるのは、もっと難しい善。
愚管抄というのは、なかなか優れた歴史感覚だ。まさに慈円が内外典に滅罪、生前罪を滅ぼし、生きるのは善という道理、悪を遮って善を持つという道理など、一条の自然的道理と歴史に内在する道理とを区別し、しかも後者を多義的に使い分けた。 代々のなりゆく歴史の道理は時代の変化で変わっていく