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Photo by
comafumi
《和歌日記》2020年12月30日
年の瀬。
最高気温が20度前後を記録した一昨日、昨日から一転。今日はずいぶんと冷え込んだ。昼間から雪が散らつき、日が暮れてからの冷え込みは、凄まじい。
帰省も旅行も諦めた今年。それでも公園に行き、釣りを楽しみ、ニンテンドースイッチで勝負し、ドンジャラで盛り上がった。未曾有の災害に襲われようとも、子どもたちのエネルギーは煮えたぎる。
とはいえ、年の暮れに子どもの元気な姿を見て救いを感じているようでは、大人として胸を張れない。自分の足で立ち上がり、次の年に向かって前に進む背中を見せられるかっこういい父親でありたい。こんな時、Mr.Childrenの「HERO」が胸に刺さる。
でも、今日目にとまったのは、格好いいHEROの言葉とは真逆の、情けない歌だ。
年の明けて 憂き世の夢の さむべくは
暮るともけふは 厭はざらまし(『新古今和歌集』699 前大僧正慈円)
年が明けて しんどい事が皆夢になり 覚めて無かったことになるのなら
大晦日に一日早い今日に年が暮れるとしても 嫌がることはなかっただろうよ
しんどい時代だったんだろうなあ。
慈円は時の摂関家に生まれた男。九条兼実の弟だ。
最高貴族の家に生まれた男が、貴族の世が終わっていく瞬間を、その尊さを捨てた立場から観測し続けた。
そんな重みのある絶望と重なるほどの思いは無いけれど、それなりにしんどい一年ではあった。今年のあれやこれが無かったら、こんなことにはなっていなかったかもしれない。そんな風に思い返してしまう、何人もの顔がある。
来年。ひょっとしたら、全ての悪夢が消えてなくなり、あらゆることが良くなっているのかもしれない。信じてはいないけど。淡い期待をかけて。