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50代前はB.MW.W.を愛した。 B Business M Money W Women W Wine 今はW.W.を愛している。 W Wine W Wife

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西行の足跡 その31

29「立ち昇る月の辺りに雲消えて光重ぬる七越の峯」 山家集下・雑・1403  立ち上るにつれ、いつしか月の周りの雲も消えて、七越の峰は光を重ねたように月光に浮き立ち、その奥にいくつも展開する大峰の峰々が幻視される。  七越の峯は熊野本宮大社旧社地の東方すぐ近くにある山なので、夜、本宮に参拝した折に詠んだ歌だと取るのが素直な読み方だろうという見解がある。 『古今著聞集』から  引用ここから 「西行法師、大峰を通らんと思ふ志深かりけれども、入道の身にては常ならぬ事なれば、

    • 西行の足跡 その30

      熊野の条 28「身に積もる言葉の罪も洗はれて心澄みぬる三重(みかさね)の滝」   山家集下・雑・1118  我が身に積もった身業の罪も、狂言綺語である和歌を読み続けた口業の罪も、神聖な滝の水に洗い流された。三重の滝を拝むと三業の全てが濯がれるようで、心も澄んで意業の罪までが清められてゆく。  身口意の三業とは、身業・口業・意業の三つを言う。人間の行為を身・口・意志の三種に分類したものである。  業とは行為・造作の義で、善悪にわたる行為そのものだけでなく、その行為の余力

      • 西行の足跡 その29

        27「何事のおはしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる」   元長参詣記  伊勢神宮にはどのような神が鎮座なさっているのか私には分からないが、ただただ畏れ多くてありがたくて、涙が流れ出てくる。  この歌はあまりにも有名で、絶対西行が詠んだ歌に違いないとみんなが思っている。しかし、西澤教授によれば必ずしもそうではないとのことだ。私は学者ではないので真偽のほどには興味がない。この歌をあくまで西行が詠んだという前提でこれから進めていく。  実際私が妻と共に伊勢神宮を訪れた

        • 西行の足跡 その28

          26「聞かずともここをせにせんほとゝぎす山田の原の杉の群立ち」 残集6  まだ、時鳥の鳴き声を聞いてはいない。でも、ここを時鳥が鳴く場所にしよう。伊勢神宮外宮の山田の原は神杉が郡立していて、いかにもそれにふさわしい。 「聞かずとも聞きつといはん時鳥人笑はれにならじと思へば」   兼載雑談(けんさいぞうだん)源俊頼(としより)  聞いていなくても時鳥の鳴き声を聞いたと言おう。世間の物笑いになりたくないと思うから。 「人笑はれにならじ」という意識は重要な美意識だったようで

        西行の足跡 その31

          西行の足跡 その27

          25「深く入(い)りて神路の奥を尋ぬれば又上もなき峰の松風」   御裳裾河歌合71  伊勢神宮の御山である神路山に深く入って、さらにその奥を尋ねていくと、この上もない峰、霊鷲山から吹くのと同じ松風が吹いてくる。   「神路の奥」というのは象徴的な言い方であり、そこに特別な何かがあるというものでもなさそうだ。「太神宮の御山」を「神路山」と言ったのである。それは、「吉野の奥」に何度も触れながら、実際には憧憬の地として、理想郷としての吉野を指すことと同じであろう。  西行は「吉

          西行の足跡 その27

          西行の足跡 その26

           伊勢の条  高野から熊野に続いて、西行と伊勢との関わりを見てみよう。 24「神路山月さやかなる誓ひありて天の下をばてらすなりけり」   御裳裾河歌合2   天照大神は、人々を救うために、神路山の光清(さや)かな月として現れようと誓願なさった。だから、この月は格別に清かに天下を照らしているのだ。    天照大神は日輪だから、通常は西行も日輪として歌を詠んでいる。 「宮柱下つ岩根に敷き立ててつゆも曇らぬ日の御影かな」 聞書集・260  伊勢神宮は、新田の柱を大智の堅固な

          西行の足跡 その26

          西行の足跡 その24

          22「思ひおきし浅茅の露を分け入ればただはつかなる鈴虫の声」   西行上人集・雑・430  故人が思いをそこに残した三昧堂の庭は、浅茅が生い茂り、露もしとどであったが、分け入っても、ただかすかに鈴虫の声が聞こえるだけである。  徳大寺実能(さねよし)の家人でもあった西行は、徳大寺実能を偲んで上のような歌を詠んだ。 「亡き人の形見に立てし寺に入りて跡ありけりと見て帰りぬ」   西行上人集・雑・429  今は亡き徳大寺実能が形見として建立した寺に入ってみたが、すでに消失し

          西行の足跡 その24

          西行の足跡 その23

          高野の条 21「こととなく君恋ひわたる橋の上にあらそふものは月の影のみ」   山家集下・雑・1157  聖地奥の院の無明橋の上にいても、なんということなくあなたに逢いたいという気持ちがあれからずっと続いている。聖地を照らす月があまりにも美しくて、思い出すのはあなたと見たあのときの月だけである。  この歌の詞書きには西住上人に贈ったとある。まるで恋人に贈った歌のように見えるが、そうではなかった。西行と西住は同行の僧であった。同行とは、信仰・修行を同じくする仲間のことを指

          西行の足跡 その23

          西行の足跡 その22

          20「夜を残す寝覚めに聞くぞあはれなる夢野の鹿もかくや鳴きけん」   山家集上・秋・437  年を取ると鹿の鳴く声に夜更けでも目が覚めてしまう。鹿の声は哀切きわまりないもので、伝説の夢野の鹿もあんな風に切なかったのかと哀しくなる。 「夢野の鹿」というのは、「摂津風土記逸文」および『日本書紀』仁徳天皇三十八年に有名な地名起源説話に基づくものだそうだ。私は研究家ではないので、詳細は省く。  なお、西澤教授によれば、西行の「夜を残す」は、『和漢朗詠集』に採用された白楽天の次

          西行の足跡 その22

          西行の足跡 その21

          19「人来ばと思ひて雪を見るほどにむ鹿跡付けることもありけり」   山家集上・冬・533  もしも今人が来たら嬉しいには違いないが、足跡が残るのも残念だ、と思って雪を見ていると、見ているうちにも鹿がまるで人が来要に足跡を付けている、などとうこともあるんです。 「小山田の庵近く鳴く鹿の音に驚かされて驚かすかな」   山家集上・秋・440  山田の番小屋を私の山家にしていると、鹿が近くまで来て鳴くのでつい眠りから覚めてしまう。私も鹿をびっくりさせて追い払ったりする。  「

          西行の足跡 その21

          西行の足跡 その20

          18「山賤(やまがつ)の片岡かけて占むる庵のさかひに見ゆる玉の小柳」    山家集上・春・52  山人が片岡の野を領有する印に立てた小柳の枝が、玉を貫いた糸のように美しい。若い柳を自分の領地の境界に植えた。わざわざ自分の領地だと誇示するいじましさを、しかし、西行は否定しているわけではない。ただ、美しい柳を見て、美しいなあと目を奪われているだけのことだ。     そして、このような光景を見いだした歌人は西行外にもいた。 「あたらしや賤(しづ)の柴垣かきつくる便りに立てる玉の

          西行の足跡 その20

          西行の足跡 その19

          17「古畑の岨(そば)の立つ木にゐる鳩の友呼ぶ声のすごき夕暮」   山家集中・雑・997  山畑が放置され、その脇の崖に一本の木が立っている。その夕暮れのあまりに寂しい風景の中に、鳩が一羽、友を呼ぶように鳴くのが聞こえてくる。 「山賤の片岡かけて占むる野の境に立てる玉の緒柳」   山人が片岡の野を領有するしるしに立てた小柳の枝が、玉を貫いた糸のように美しい。 「岨」とは、切り立った崖の意味である。杣人や筏師は、森林の伐採が終わるとそこに焼き畑を作った。畑を焼いて栃を活

          西行の足跡 その19

          西行の足跡 その18

          6「子日(ねのび)して立てたる松に植ゑそへん千代重ぬべき年のしるしに」山家集上・春・6  野で引いた子の日の松を門松に植え添えよう。二つの松が重なって、高倉天皇の御代も、いつ までも続くに違いない証拠に。 「子の日」とはその年最初の「子」の日に、野外で小松を引いて長寿を祝う正月行事のこととある。大晦日の翌日に元旦と立春が同時に来ることもあるということは、先に述べたとおりだ。さらに、「子」の日が元旦と重なる場合もある。西行の生涯には4回あったという。特に西行の50代の仁安2

          西行の足跡 その18

          西行の足跡 その17

          出家の条 15「年くれぬ春来べしと思ひ寝に正しく見えてかなふ初夢」   山家集上・春・1  年も暮れた。明日は立春だと思って寝ていたら、夢でもいいからと思っていた春の女神を抱くことができた。初夢が叶って嬉しい。  この歌は初夢の歌だが、実際には立春に詠まれた。だから、この歌での「初夢」とは元旦の夜の夢のことではなく、立春の前夜の夢である。もっとも、このような「初夢」使い方は散文でも、和歌でもないらしい。ただ、西行のこの歌だけだということだ。 「門ごとに立つる小

          西行の足跡 その17

          西行の足跡 その16

          14「さらに又そり橋渡す心地してをぶさかかれる葛城の峯」 残集32  一言主神が役行者に命ぜられて途中まで架けたという岩橋の上に、もうひとつ反り橋を渡したような、大きな美しい虹が葛城山に懸かっている。 「をぶさ」(緒総)とは虹のことを譬えていったものであり、葛城は修験道の聖地である。「金の御嶽(金峰山)と「葛城の御嶽」(岩橋山)との間に端を架けろとは命じられた鬼神たちは、昼間は働かなかった。なぜなら、自分達の醜い姿を恥じたのだ。そのため、橋が完成しなかった。そのことに怒っ

          西行の足跡 その16

          西行の足跡 その15

          13「吉野山桜が枝に雪散りて花遅げなる年にもあるかな」   新古今集・春上・79  吉野山では桜の枝に雪が散っている。今年は花の遅い年になりそうだ。  西澤教授によると、この歌は西行が詠んだ花、あるいは吉野の歌の仲では最高峰だそうだ。なぜこの歌が最高傑作と評価されるのかを見ていきたい。 「吉野の花」とは、遠山桜を詠むのが通例だったそうだ。そして、都からわざわざ出かけて見に行くものでもあった。ところが、西行は吉野に数年住んでいた。 「常磐なる花もあるやと吉野山奥なく入りてな

          西行の足跡 その15