西行の足跡 その56
54「訪ね来つる宿は木の葉に埋もれて煙を立つる広川の里」 慈円歌集切
葛城の山麓に引川寺を訪ねてみると、美しい紅葉に埋もれて、寂しさを掻き立てるように煙だけが立ち上っている。(死に場所を探していた)私を暖かく迎え入れてくれそうな山里に感じられた。
「円位上人」(西行)から慈円に送られたと、詞書きにある。そして、この歌の直前には次の歌が載っている。
「麓まで唐紅に見ゆるかな盛り知らるる葛城の峰」 慈円歌集切
山麓の引川寺に至るまで満山見事な深紅に彩られている。葛城山はいま紅葉の真っ盛りと知られた。
「煙を立つる」とは、冬の山里を表現する常套的表現である。
「寂しさに煙絶たじとて柴折りくぶる冬の山里」 後拾遺集・冬・和泉式部
冬の山里はあまりに寂しいので、せめて煙だけでも絶やすまいと、柴を折っては竈に火をくべる。それでも寂しさはなかなか紛れない。
しかし、竈の煙は民衆の日常生活を象徴する物であるので、慈円から生活支援を受けていたことを証明するものだと指摘する人もいる。「我が第一の自嘆歌」であると慈円に語ったことがある、「風になびく富士の煙の空に消えて行方も知らぬ我が思ひかな」という歌はそのことを想起させるものもあった。
俊成は西行が引川寺で発病したと聞いて慌てて『宮河歌合』を送らせたということが、俊成の家集『長秋詠藻』には記載されている。西行は自らの行方を「煙」に喩えて、「火葬」を想起する気持ちだったのかも知れない。つまり、「引川の里」を終焉の地と見定めたとも言える。