最近の記事

怒る人々

2017.9.10 墓参を終えて、後は帰京するだけと思うと、10日以上も旅を続けたせいか、ほぼ遊びで来たのに解放感で気が緩む。 昼にはまだ早いので、小牧辺りまで一般道を行こうと考えた。 その心は…。 昨日のタッチパネルを、どこかでもう一度体験してみたい。 ベッドの中で復習し、脳内ではもうすっかり習熟したので、また実践してさらに腕を磨くのだ。 場所や店名は明らかに出来ぬが、しばらく走ると早速回転寿司屋さんを見つけたので、迷わず入店した。 番号札を渡されて所定の席に座る

    • ご先祖さま

      2017.9.10 壮大な叙事詩の始まりのような太陽が昇った。 慌てて窓辺にソファーを引き寄せ、イヤホンで姫神の「秀衡のテーマ」を聴きながら、しばし濃尾平野を照らす暁光に見入っていたら、訳のわからぬ涙が出そうになった。 歳のせいである。 (姫神 秀衡のテーマ) ⬇️  (イメージ画像なので再生はこちらから) https://youtu.be/e_SngENK-Kc?si=3Tbf9ocVldTPeyeO 方角は恵那山方向だが、そのずっと手前、多治見の辺りと見当をつけ

      • 文明は私の気づかぬうちに進化していた

        2017.9.9 アップの順番が前後しましたが、その間の諸々は既出なので、過去のnoteを参照してください。 橿原神宮前から岐阜羽島まで一気に来た。 ホテルを出た時点で葛藤はあった。 やはり飛鳥まで来ているのだし、未練を残して後悔するよりはまた斑鳩へ行くべきか、それとも今回は潔く諦めて、代わりに、近くの今井町を歩いてみようか等々。 全然潔くない…。 これといった自覚はないが、10日も旅を続けていれば、旅の疲れもあるだろう。 すでに気力と体力が釣瓶落しの年齢である。 だ

        • いつも悩む奈良の宿

          2017年9月4日 奈良を訪れたのは七年振りくらいと記憶しているが、たった七年では、南都は何も変わっていない。 変わったのは自分が老いたことくらいで、千三百年の歴史の重層ばかりが沁みる。 以前はスケッチや作句が目的で、それなりに満足感を得た数日だったけれど、今回は奈良の空気を感じに来た。 一番に行きたいのは法隆寺だが、死期が迫ったら、しみじみ斑鳩の里を逍遥したいので、それまでは自重しようと決めている。 畳か病院のベッドか路上か、どこで息絶えるかわからないながら、いま

          宇治川を渡る

          2017年9月4日 奈良へと南下する。 大きな目的地を定めない旅行とはいえ、すでに今夜のホテルを確保してしまったので宇治川を渡った。 宇治川を雲水渡る野分哉 かつてこんな駄句を詠んだことのある私だが、今は俗に汚れた中年親父が車で渡っている。 実際に雲水が歩いていれば絵になるのだが、その姿はなかった。 鳥羽殿へ五六騎いそぐ野分哉   蕪村 鳥羽殿は朱雀大路の南方にあった鳥羽離宮のことで、平清盛によって後白河法皇が幽閉された場所だ。 おそらく後白河法皇救出のため、南都

          宇治川を渡る

          月の舟で星の海へ漕ぎ出そう

          2021.6.13 昼過ぎに雨が上がり、月齢2.8の月が見える。 揺りかごのような曲線が、まるでゴンドラの形で、ほら乗り込んで宇宙旅行でもどうだい?と誘っている。 じゃ乗せて貰おうかなと、その気になる。 寝転がりながらの旅は怠け者の私にぴったりで、ゆらゆらと快適そうだ。 夢想するだけだから、太陽風とか放射線とか紫外線とか無重力とか真空とか時空とかカイパーベルトとか、そんな小賢しいことまでは考えず、夢の中で遊び、通り過ぎる無数のスターダストを雲に見立てて何処までも行く。

          月の舟で星の海へ漕ぎ出そう

          洛北にて

          2017年9月3日 京都のホテルをチェックアウトして、そのままロビーでコーヒーを頼み、ひと心地つく。 少し早い昼食は天丼が食べたかった。 それに新蕎麦も…。 「関東風」のキャッチに誘われて立派な構えの店に入ると、ほのかにごま油とかつお出汁が匂う。 まぎれもない「関東風」である。 丼も蕎麦も大きく見えるが、どちらもミニサイズである。 サービスのつもりか、店内は冷房がギンギンに効いていて、蕎麦は温かくしてもらった。 冷房、あんまり効かせるなよ、の希望も暗黙では伝わらなか

          洛北にて

          明日は明日の風が吹かうではないか

          2017年9月2日 沼津から第二東名に乗って西へ向かう。 一本道だからナビを見る必要もない。 トンネルの多さが気になるところだが、これだけ空いていれば、仮に逆走車が来たとて、かわすこともできる。 ボリュームを上げて静岡県の民謡を聴きながら、道は快適である。 晴れた日の駿河路はノーエ節が似合う。 のぼりつめればトンネルとなりこだまする 山頭火 仰いで雲がない空のわたくし 同 ぐつすりと寝た朝の山が秋の山々 同 途中、覆面パトが、ドイツ製の車を止めていた。 こちらは時

          明日は明日の風が吹かうではないか

          奈良の絵日記 室生寺

          2010年9月15日 前回の「奈良の絵日記 斑鳩」からの続きです。 レンタカーを借りて、室生寺へ向かうことにした。 コンパクトな1000㏄か1500㏄でいいのに、二時間待たなければ戻って来ないという。 今は1800㏄のカローラしかないと、関西弁で力説するので、言う通りにした。 明日は仕事があるんやから、こっちかて、とにかく朝から慌ただしいんやで。 R169を南下する。 「わ」ナンバーとはいえ、れっきとした「奈良ナンバー」だ。 これで東京のナンバーに意地悪する奴らも、気に

          奈良の絵日記 室生寺

          奈良の絵日記 斑鳩

          2010年9月13日 前回の「奈良の絵日記 三日目」からの続きです。 軽い夏風邪と、軽い熱中症?で体調がすぐれない。 とはいっても、奈良に来た目的は法隆寺。 何としてでも行かねばならぬ。 近鉄奈良駅前からバスに乗った。 風邪薬のせいか、次第にトロトロと眠ってしまった。 危うく乗り過ごすところだった。 あぶないあぶない。 ふと足元を見ると、 「いかるが げすい」 なるほど…。 何がなるほどなんだろ? 正面に山門と五重塔を望む ちなみに山門とは三解脱門の略で、空門、夢相

          奈良の絵日記 斑鳩

          奈良の絵日記 三日目

          2010年9月13日 「元カノに逢いに行った」の続きです。 江戸の敵を長崎でとは聞くけれど、まさか東京の疲れが奈良で出るとは思わなかった。 前夜は昼間の暑さから解放され、宿のエアコンに救われた気分だった。 ところが夜十時には就寝したものの、日付けが変った頃に目が覚めてしまった。 どうやら軽い夏風邪を引いてしまったらしい。 眠れぬまま、ライティングデスクに向かい、想像で興福寺の朝焼けを描いた。 今日は法隆寺へ行くつもりだったが、一日、休養と決めた。 その代わり、阿修羅を見

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          元カノに逢いに行った

          2010年9月12日 前回の「奈良の絵日記 東大寺」からの続きです。 大和西大寺駅から秋篠寺まで歩いた。 競輪場が周辺の雰囲気を壊しているけれど、これも仕方のないことなのか。 ため息が漏れる。 相変わらず人が多い。 折しも今日は日曜日。 人が途切れたところで、 やっと一枚撮った。 以前は車で来て楽だったが、駐車場は満車で、寺までの細道は大渋滞。 もっとも、駐車場のスペース自体が狭いから無理もない。 ここまでは徒歩で来るべし。 境内に入る。 どこもかしこも人、人、人。

          元カノに逢いに行った

          奈良の絵日記 東大寺

          2010年9月11日 前回の「賢くない中年」からの続きです。 東京に比べ、奈良の暑さは横綱級だ。 参った。 と嘆きつつも、宿に荷物を預けて東大寺に向った。 こんなもの、以前は無かったけどなぁ。 ま、いいか。 それにしても人が多い。 青春18きっぷは昨日で終わっているのだが、あいにくの週末だったことを失念していた。 よって大仏さんはパス、老体をエンコラショと二月堂まで運んだ。 大仏殿を見下ろす。 スケッチ5分。 彩色3分。 邪魔にならぬよう、 速攻で仕上げた。 同じ

          奈良の絵日記 東大寺

          賢くない中年

          2010年9月10日 約二十年振りくらいに、會津八一の文庫本を開いた。 あまり面白くない随筆だが、他に読みたい本がなかった。 しかしその中で、奈良をテーマにした部分だけは興味深く読み返した。 それは斑鳩に触れた個所で、読みの「イカルガ」から、鳥の「イカル」の考察に終始していて退屈だが、それでも、私は相変わらず奈良が好きなんだなと、改めて思った。 いかるが の さと の をとめ は よもすがら きぬはた おれり あき ちかみ かも 八一の歌である。  私がまだ若い頃、初

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          法隆寺 中門

          2008年5月7日 五柱四間の中門は怨霊鎮めのために建てられたといったのは梅原猛だったか。 643年、蘇我入鹿の襲撃によって滅ぼされた太子一族の霊は鎮まったのだろうか。 各地の寺を回り続けていると、確かに中央に柱の立つこの構造は奇異に映る。 側面の三間も、全体のバランスを考慮した場合、若干の違和感を覚える。 四間の正面に対し、果たしてこれだけの奥行が必要なのか。 しかし、そのために安定感を損なうことのない重層の造りは、左右に延びた回廊の手柄によるところが大きい。 緩い勾配な

          法隆寺 中門

          法隆寺 築地塀の魅力

          2008年5月7日 南大門をくぐると視界が開け、法隆寺の懐の深さを実感する。 築地塀が控え目な高さで延び、正面に見える中門を引きたてている。 竹山道雄は次のように記した。 たたずんでこの広場をながめていると、すべて明晰をきわめた空間の中に、なにかふしぎなものが感ぜられた。どこかに一点の謎のようなものがあった。この印象が気にかかったが、それが何によるものかは分らなかった。首をかしげて立ちつくしているうちに、ようやく悟った。その謎めいたものというのは、彼方に遠望される、中門の

          法隆寺 築地塀の魅力