対話によって生まれる感情は、 身体の数だけ異なるんだって。 だから自分が意図しないことが、 相手に伝わることもある。 伝わるように配慮しても受け手次第。 だからコミュニケーションは難しいのかもね。 些細な一言だと思っても、 トラウマなどになってしまうのもコレが原因かもね。
好きな曲をあれもこれもと聴き続けて、改めてそれらの良さを感じると共に、その良さを作り出した作者達の能力や技術の素晴らしさと、制作にかけられた労力を思った。受け手は差し出された物を素直に楽しめばいい。だけど作る喜びと苦しみを知っていると、受け取った物をより深く感じとれるように思う。
話し方の語尾をこういう風にしたほうがいいんじゃないかとか、そんなことばっかり気にしてる人がいるけど、大事なのは話の中身です。 話をどう評価してどう活用するかは受け手自身の問題なので、発信者側でどうこう考えるのはあまり意味がないのですよ。
「無人の森で木が倒れた時、音はするか?」 答えは「否」 当然木が倒れる音波は発生する しかしその音波を「聞く人」はいない ゆえに音はしない これはコミュニケーションとは何かを 問うてる コミュニケーションは「受け手」が ないと成立しないということ 意味ある音を奏でたい