わたしは健康な女性だけど、子供を産みたくない
”「出産していない女性」は性格がキツイ!? ”と言う記事に違和感を覚えた。
出産は命がけ。子育ては、時間や体力もお金も使う。
保育園にも入れず自分のキャリアを諦め、1人で2000万円はかかる養育費のために毎日働く。
子供の悪さはすべて親の責任にされる社会で、産みたくないと思うのが普通じゃないの?
「子供を産まない」と言うと女は責められるのに「子供を作らない」と言う男はなんで責められないの?
子供を産みたくないと言うと「望んでも子供を産めない人もいるのに」と責められ、妊娠したら「親の責務を果たせ」と責められる?
女性だって毎日、一生懸命に生きてるのに「子供を産む産まないの意見を発言しただけで」なんでこんなに簡単に責められるの?
「産みたくても、産めない人がいるのよ?」の呪い
私は子供が好き。
見ているだけで本当に癒されるし、本当に幸せな気持ちになる。
でも、私は、将来、自分の子供を欲しいとは思っていない。
そんな私が「将来、子供を産みたいと思っていない。」と周りに話すと「産みたくても、産めない人がいるのよ?」って呪いをかけてくる人がいる。
「あなたの体は健康体でしょ。なんで産みたくないなんて言うの?」
「あなたは今も美人じゃないの。男性にも困っていないでしょ。」
そんな言葉をかけてくる人に私は聞いてみたい。
「女は子どもを産むのが自然、産まないのは不自然」って誰が決めたの?
産まない人は犯罪者なの?子供を産まない人って、道徳的じゃないの?
って。
確かに、私は、健康体で男性にも困らない。でも、何よりも”子供を産むこと=他人の命の責任と負わなければいけない。という現実”を目の前にしてて、私は、簡単に子供を産みたいとは言えない。
私は子供を作ったこともないし、育てたこともにない。親戚の子供の子守りしかしたことがない。だからこそわからない親であることの幸せや喜びはわからない。
「産まないと後悔するよ!!」
「実際に子どもができたら変わりますよ!!!」
「子育ての喜びをあなたにも知ってほしいです!!」
子供を産みたくないと発言すると、大人の子供を持たれている方々が善意の”おやさしいお言葉”をくださる。
そんなお言葉を日々感じていると私の意見が多数派の意見じゃないとダメって言われている気持ちになってしまう。
でも思う。そう思うのはあなたの自由。だから私が子供を産みたくない。と言うのももう少し寛容になってもいいんじゃないかって。
これは負け犬の遠吠えになっちゃうのかな。
「君みたいな人がいるから日本は少子化が進むんだよ。」って言うくそ親父
「私は将来、子供を作りたいと思っていないんです。」と言うと必ず出会う、「君みたいな人がいるから日本は少子化が進むんだよ。」って言うくそ親父。
「あなたは国のために子供を作ったんですか?」
私がこう聞き返すとその親父は黙る。
「あなたは国のために日々生きてるんですか?」
「その言葉を私にかけることで、国は少しでもよくなると思ってるんですか?」
って、私は声には出さないけどすごい親父を言葉でつめたくなる。でも、いい歳した親父は、この質問も女子大生がほざいてる屁理屈に聞こえているんだろう。いつもそうやって私の意見はいつも軽視されてきた。
確かにその意見も一理ある。日本の少子高齢化は今後のいろんな問題を引き起こし、今から着実に取り組まないといけない課題である。
だからこそ、私みたいな子供をもちたくない女性に対して言葉にして言うのはどうかと思う。
「将来子供を産みたくないんです」と話すと必ず出会う個人の意識を社会問題とすり替えて、話しだす親父は本当にどこにでもいる。
子供を産んだからってみんないきなり”母”に変身できるの?
子どもを産んだら自分で育てるのがスタンダードという文化。
「血の繋がった家族が一番良い」という制度や文化。
それが女性の当たり前であるべき姿なのかもしれなけど、自分でその文化を受け入れることができない。
私にはよくわからない。
正直、子供を産んだからって絶対的に子供を愛せるかはわからない。それは自分が子供が生まれてからしかわからない。
人の子供は大好き。一緒にずっと遊んでいたいし、構っていたい。でも、自分の子供として自分が責任をおわないといけない立場になった時、私は、自分の子供のことを本当に愛せるかわからない。
愛することができるとしても、子供の優先順位が1位になるのかわからない。私にだって「好き」「嫌い」は常日頃からあって、やりたいことはたくさんある。そして、いつも結局は自分都合で生きいくのが強く生きるための方法だと思ってる。
そんな私が子供を産んで、その子が愛せない子供だったとしても、私は社会から感じる重圧でこどもを育てると思う。と言うか、この世では自分の子供を育てないことは犯罪になる。
ただ、そうやって育った子供は、非行に走ったり、不適切な居場所を見つける人に育ってしまう。自分の子供が不幸せに育っていることが想像できている。
男性は家に帰りたくないから「仕事」に逃げ道があるのに、女性には逃げる前提が与えられていない
子供を持った家庭の「家に帰りたくない。」って言う男はそんな責められないのに、「家に帰りたくない。」と女がいうと「なら子供を産まなかったらよかったじゃん。」って責められる。
「仕事があるから」って言うのを理由に家に帰らない男はごまんといる。年収の問題を持ってこられると何も言えなくなる。
それなら「女性がもっと稼げるように努力しなよ。こっちもこっちで辛いんだよ」って。
ビジネスは合理的なことが通じる。ただ家族問題は、合理的には進まない。
確かに資本主義社会の中で金が全て。金がものをいうとなると、結婚することが男性のとっては不利なんじゃないかと思ってる。
でも、女性にはお金には変えられない部分が会ったから結婚したんじゃないの?それだから一緒に住んでいるんじゃないの?
家族の中でもお金を払っている人が偉いってなるのは少し違うのだと思ってたよ。
お互いに歩み寄りが大事なんじゃないかって思ってたよ。
「家に帰りたくない」と思う感情は誰にだってある感情。だからこそ、たまにの休憩は女性だって、男性だって、他のジェンダーだってあってもいい。
自分の選択がマイノリティであるほと生きづらい。ただ、他人が望んだ人生を選んでも生きづらい
私の考え方があっているか正直わからないし自信もない。だけど、私が選んだ人生でいいと思いたい。
でも、そう思うにはあまりにも難しくて、何も生きづらいよ。
私は、独身であることに自信をもち、自分の人生を謳歌している人に会ったことはない。
「ずっと独身だけど、毎日が楽しくて幸せ」
「結婚したけど子どもは持たない。それでもすごく幸せ」
テレビでそういう人を見ることはない。もちろんネットでも流れてこない。
女性の生涯未婚率は14.1%。7人に1人は結婚していないはずなのに。全く見ることがない。人生でも出会うことがない。
こうやって話した結果「個人の選択の問題だよね!」と言う言葉でかたづける。確かにそうなんだけど、そこで、思考停止してる気がする。
だからかな。度々いろんなところで妊娠や出産の問題は取り上げられてるはずなのに。こんなにも長い間同じ苦しみが消えないのは。
なんでだろう。
私たちが目指してる多様性のある社会の必須条件は「他人の生き方を邪魔しないこと」「余計な口出しをせず、ほっておくこと」。
わたしは、子供のいない人生を選んだ。
それはわたし人生であって、他人に勧める気も押しつけるつもりはない。
他人の人生は他人のもの。私の人生はわたしのもの。
P.S.
最後まで読んでくれてありがとうございました。感情で書いてしまった部分が多いのですが、私のような人はすくなくてもいるのではないのでしょうか。そんな人のことをいろんな人にもっと知ってほしい。そんな思いで書きました。この記事を読んだ人に少しでも救われる人がいますように。読んだ感想をコメントで聞けると嬉しいです。
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