EXPわくい
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note 始めてから2年8か月、正直なところをいうと「ネタ切れ」です。 といいますか、言いたいことは全部言ってしまったような気がします。 投稿はしばらく休んで、ちらちらと見るだけにしようと思いました。 アクセス状況 2024年9月3日現在 全体ビュー:259,440 スキ:10,979 コメント:459 月間ビュー:9,000〜11,000 記事数:2319 他のSNSは稼働中 X.COM(仕事まわり日常) https://x.com/expwakui_b
作詞:売野雅勇 作曲:和泉常寛 編曲:新川博 1986年シングルリリース フジカラーCM曲
近頃のSNSのアルゴリズムは高度に最適化されています。 そして自分に最適化できます。 見たい投稿に「いいね」する 見たい投稿をシェアする 知りたいことを自分の投稿に書く 知りたいことを自分のプロフィールに書く 見たくない投稿を非表示にする フォローされたくないフォロワーを削除する そうすると、見たい投稿が流れてくるようになるのです。 やってはいけないこと簡単です。上記の逆をしてはいけません。 見たくない投稿に「いいね」する 見たくない投稿をシェアする 知
火事と喧嘩は江戸の華 X を眺めていて、やいのやいのといがみ合ってるように見えるのは、実は単に親睦を深めてるだけなんじゃないかと思うこともある。 関西人の自分から見ると江戸っ子のコミュニケーションは理解しにくい面がある。
X は肯定的な人も批判的な人も、何らかの目的がある感じだけど Threads は感情メインの人が多いような気がした それは、論理思考の人と感性を大事にする人の違いではないかと思う 感覚的なものを好む人は、Instagram, Threads、つまりメタに行くのかもしれない。
理屈に合わないことでも愛情があるからできる、みたいなことあるよね。 家族を愛している人は家族に対して 友達を愛している人は友達に対して 会社を愛している人は会社に対して 日本を愛している人は日本に対して そのことに生きがいを感じるのです。理屈に合っていなくても。
よく整理できていませんが、そのまま書きます。 渋谷にビルが沢山できて 「どこにいてもお金を払わないといけない」 と嘆いている人を見かけました。 でも宮下公園は無料ですよね? 似たような話です。 文章に対してお金を払うというのは、文章に金銭的価値があるということでしょう。 ただ、種類はあります。 小説・エッセイなどの「作品」 解説やアイデアのような「ノウハウ」 文章だと何でもお金になるかというと、そうではありませんね。 書かれている内容や、伝わってくるものに価値が
X のポストをそのまま貼ります。 +++++++ フォロワー何千とかでもいいねが1ケタ、というのも寂しいし、 note によくあるスキが100以上あるのにコメントなし、みたいなのも寂しいなあという気もする。 フォロワー少なくてもいいねくれたり、コメントくれたりするほうが楽しいのではないかな。 +++++++ 役に立つ投稿しないとフォロワー増えない、みたいな価値観あるけど あなた、役に立つから友達ね あなた、役に立たないから友達じゃない みたいな即物的な人間関係は
note を休んでいますが、今朝はふと起動しました。 すでに一部の業界では成果主義になっていると思いますが、まだまだ、年功序列のような業界は沢山あります。 最先端の業界でも、給与(報酬)システムが旧態依然としている所もあるでしょう。 「成果主義」はとても合理的で、多くの人が納得できる給与(報酬)システムにも関わらず、誤った認識が多いのが現状ではないでしょうか。 誤った使い方をしている経営者も多そうです。 弱者が不利になるのでは?成果主義は「仕事の成果」がポイントです
PC・スマホはすぐに新しいものが欲しくなるけど、必要性としてべつに要らない。 今持っているのも「欲しい!」と思って買ったもの。 今は、通常用途では最新機種を追わなくてよいレベル。新しいほうがイマイチなときもある。 サポート期間のことを除けば、5年前の機種でも問題なし。吾唯足知
名のある人が言っていることを聞いて気づくということは、昔からある。本やテレビなどがあったから しかし、市井に生きる名もない人にもさまざまな経験があり、そこから出てきた言葉にも重みがある 誰だか知らない人が言っていることで人生が変わることもある それがSNSの素晴らしいところ
過去記事に感心する。 過去写真に見惚れる。 ぽつんとスキやいいねをもらった投稿を見て、こんな記事を書いてたんだな、今こんな凄いこと書けないな。とか、この写真すごくいいなとか、自分で気づいたり感動したりすることがある。 その時に神が降りてきたのではないかと、思うことがある。
世の中の表現がストレートで即物的で理にかなうほどAIで代替可能だから、ビジュアルにも文体にも現れない人間性が価値となっていくと思う。AIに人間性が与えられるまでは。 ただ、AI芸術のようなものは「分野」として確立するだろう。
出来上がっているものを壊そうとする人が多いけど、壊すのは一瞬で、代わりのものを作り上げるのは何十年もかかる。 もともと必要があって出来ているから、壊すと絶対、同じようなものを作らないといけなくなるのですよね。 本当に新しいものはめったに生まれない。類似のものは過去にある。 ++++++ 日本のスクラップ&ビルドの文化は、とても大きなエネルギーを必要とするし、資源を必要とするのですよね。 従来のもの、過去のものを大切にしていくという精神も、海外から学ばないといけないか