papa grayhair

美術館より街場の生活文化。音響の整ったホールより街かどで奏でられるバイオリンの音色。多様な人々が行き交い様々な出会い、人々の暮らしが共振して街になる。大学は芸術学(観衆論)、大学院は公共政策学(創造都市)

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美術館より街場の生活文化。音響の整ったホールより街かどで奏でられるバイオリンの音色。多様な人々が行き交い様々な出会い、人々の暮らしが共振して街になる。大学は芸術学(観衆論)、大学院は公共政策学(創造都市)

マガジン

  • 創作

    短編小説/ショートストーリー/ショートショート なんて呼びましょう。

  • まち/まち暮らし

    まちが好きだなと思う。「まち」こそが居心地だ。

  • 街かどの味/お店

    街かどの、案外「主役」でバイプレーヤー

  • 映画やドラマ 少し音楽

    素敵な作品たちと出会ってきた。そんな作品たちとの問わず語り。

  • 世相

    時計の針が進む、そのスピード。20年前にはIPhineはなかった。つまり、この20年はただの20年じゃなかったんだ。どの世代だって、今に合わせて、自分の認識をアップデイトできているだろうか。

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これからの本屋さんは

急速に市場が縮んでいく「これから」 ビジネスな感覚で商材として「本」で利益を上げようとする 「小売業」な「本屋」さんは難しいと思う。 「八重洲ブックセンター」的な「規模」をもってしても、全世界を股にかけるAmazonの「規模」にはかなわないだろう、マス的な市場は経済的にも本を買うゆとりを失っていく。介護や育児は「自助」だし、1970年代前半の生まれの人々についてでさえ、国家に拠る「年金」は機能しなくなるともいわれている。 (それに「マス市場」の消費者こそ、さらに「紙の本」に

      • 都市的

        箱の街 路は不自然に直線である 天をつく建物はガラス製  エッジは一瞬で皮膚を切り裂く 血の雨が降る中 人々は貼り付けた笑顔で働いている ジェイン・ジェイコブズは 都市を用途によってゾーニングし 高層のビルの間を高速道路が駆け抜けるような景観に整理する 都心再開発事業を これらのプロジェクトは ダウンタウンを活性化するどころか 死に至らしめている 確かに安定し 左右対称 そして秩序正しい 清潔で印象的で堂々たるものだが まるで手の行き届いた墓ではないか と評している  まだ1

        • これからの「集まって暮らす」

          NHKプレミアムドラマ「団地のふたり」 ノエチと奈津子は、同じ団地で育った幼馴染、保育園からの親友だ。 ふたりとも五十代。 ノエチは神童的に勉強ができて、名門の都立高校から大学院へ。博士号取得。今は大学の非常勤講師。いっときは准教授を目前にしたが、恩師との男女の仲を疑われ、その大学は追われることに。一度は結婚するが3年ほどで離婚、この団地にある「実家」に帰ってきている。 奈津子は、イラストレーター。いっときは一世を風靡する売れっ子となるが今は滅多に注文もなく、一時は事実婚状

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          ブレーメン通りで「食べる」ということ

          元住吉・ブレーメン通り商店街「鉄重」 このお店の魅力を、いわゆるグルメ・リポート的な感じに伝えるのは難しいことだ。「溢れ出る肉汁が…」的な描写は、もうそれだけでこのお店の魅力を矮小化して語ることになり、語っている僕が残念だ。 「鉄重」さんの魅力は、まずお店の中に漂っている「美味そうな匂い」だ。肉を焼く匂い。上質な油の匂い…それでいて店外には、ほとんど匂いはもれていないから、ドアを開けたとたんのワクワク感がたまらない。 そして、このお店に集まっているお客さんたちの雰囲気。カ

          ブレーメン通りで「食べる」ということ

          誇り一つを 胸にかかげて

          1966年だから昭和41年だ。 楽曲「これが青春だ」は、布施明さんのデビュー曲 竜雷太さんをメジャーに押し上げた 青春ドラマといわれるジャンルの先駆け的な 同名作品の主題歌だ。 以下はその歌詞 今じゃ、時代がついてこないだろうと思う。 大きな空に 梯子をかけて 真っ赤な太陽 両手で掴もう 誇り一つを 胸にかかげて 怖れ知らない これが若さだ そうとも これが青春だ 嵐のなかも 君のためなら 七つの海を 泳いでいこう 誇り一つを 胸にかかげて 夢に飛び込む これが若さだ

          誇り一つを 胸にかかげて

          リーダー像

          「リーダー」ってものについてのイメージも、実際の「リーダー像」もぜんぜん変わっちまうんだろうな。 だって集団生産の時代が終わっていく。 1990年代、まだ「印刷物の作成」には多くの人がかかわっていた。 まず、文章を書く人、イラストを描く人、写真を撮る人たちがいて、若い世代では、その認識すらないだろうけれど、「版下」という印刷原稿をつくらなくてはならなくて、そこに並べる文字版をつくる写植屋さんがいて、イラストや写真を印刷原稿に加工する人がいて、印刷の仕上がり色を調整する人

          カフェの孤独

          彼は、日本ではあまり奏者のいない楽器の名手だった。 楽器云々というよりは彼の音色が欲しくて彼を呼ぶアーティストも多く 1970年代初頭という時代のアイコンになったCMソングにも 彼の演奏が全面的にフューチャーされたものがあり、 何枚かの記念碑的なアルバムからも、彼の演奏が聞こえてくる。 ときどきはツアーにも同行していた。 ただし、ギターやベースのように活躍の場が広いという楽器ではない。 出番は限られていた。 でも、そこのことは彼は気にする素振りもなかった。 出番がなければ

          カフェの孤独

          日本型組織ワーク

          アートも、専門家だけで話が済むなら、これほどに拗れた状況に置かれることはなかったろう。でも実際には「資金の執行」を決断する強い立場で「フツウの人」が絡んでくる。彼らだって、その立場を「志願」したわけではなく「人事異動」で、その席を占める。だから事前の知識も経験もなしだ。 しかも、そこにいるのは長くて数年だ。また縁もゆかりもないところに異動していく。 これはお役所でも民間の企業でもそうだ。 これは、第一回目の「あいちトリエンナーレ」を、当時の担当者が語った一冊の冒頭にあっ

          日本型組織ワーク

          ある 函館の夏

          ある 函館の夏

          三百六十五歩のマーチ

          楽曲「三百六十五歩のマーチ」 正式には「三百六十五歩の」って書くのかって、それすら初めて知ったといういう感じの、僕にしても、かなり昔のヒット曲。 この楽曲は1968年(昭和43年)のミリオン・セラー、唄ったのは水前寺清子さん。でも、当時としては、「大人から子ども」まで、水前寺清子さんのファンであろうとなかろうと、口ずさんだという、その時代のアイコンになるようしヒット曲だった。 しあわせは 歩いてこない だから歩いて ゆくんだね。 一日一歩 三日で三歩 三歩進んで 二歩さがる

          三百六十五歩のマーチ