「発信者」よりも「良い受け手」の重要性の話
ここ数年ずっと考えていた話に関して、たまたま全く別のコンテンツで話が出てきたので、簡単に書き残しておこうと思う。
「発信者」よりも、「良い受け手」・「良い聴き手」が重要だよねという話。
まずは奇奇怪怪。
団地本編はまだ聴けてないけど「受け手の重要性」はずっと考えている話
— しょーご (@sho5_midday) January 8, 2025
"世界は贈与でできている――資本主義の「すきま」を埋める倫理学"を読んで、根本の思想レベルで影響を受けている
分析ブームはいつまで続くのか - 奇奇怪怪 | Podcast on Spotifyhttps://t.co/8koGwu8z7B
団地ラジオにて、Chronicleの野村さんとポッドキャストの話をする中で、これだけ発信のハードルが下がった状況において、今後は「良い聴き手」の重要性が高まるのではないか、という話であった。
実際にTaiTanと野村さんの話も聴いたが、そうだよなぁという感想。特にポッドキャストというフォーマットにおいて、いかに聴き手がその先のオーディエンスまで視野に入れて場を設計できるかで勝負が決まるという話は、本当にその通りだと思う。詳細は、団地ラジオをどうぞ。
続いて、Off Topic。
成果を出した人の共通点を探ると、特定の人と接点を持っていて、その人の特技は"良い質問をすること"という話は面白い
— しょーご (@sho5_midday) January 12, 2025
奇奇怪怪でも話してた、"良い受け手"の話だ
#249 かつて世界一の発明工場と呼ばれた”ベル研究所”はどう運営していたのか - Off Topic // オフトピック https://t.co/86zWeSMQqb
本筋ではなかったのだが、AT&Tの研究機関であった"ベル研究所”に関するエピソードの中の一つ。
この研究所においてより多くの特許を出している人たちの共通する特徴を探ったところ、結果はある特定の人と接点を持ってランチをしていたりしたことだと。
そして、その特定の人は"良い質問をすること”を特技として持っていたという話。
まさしく、「良い聴き手」・「良い受け手」の特徴の一つに違いない。
そもそも、自分がこの観点に興味を持ったきっかけも書いておこう。
近内悠太さんの「世界は贈与でできている――資本主義の「すきま」を埋める倫理学」を読んだことである。
改めて読んだがめっちゃ面白い
— しょーご (@sho5_midday) September 19, 2021
発信することに価値が置かれがちな状況において、"受け手となること"に価値を見出すのは勇気になる#sho5_midday_book
世界は贈与でできている――資本主義の「すきま」を埋める倫理学 近内 悠太(著/文) - ニューズピックス | 版元ドットコム https://t.co/eGbZDZN9YM
"発信者"というのは、"受け手"がいてこそ、発信者たりえるのである。言い換えれば、"受け手"が誰もいなければ、原理的に"発信者"にはなれない。
この考え方には衝撃を受けたが、まさしくその通りだと、今でも思っている。
だからこそ、「良い聴き手」・「良い受け手」が必要。
そういう人たちが、「発信者」を生み出すことができると言っても過言ではないかもしれない。
ただ、こういう観点ってあまり世の中に共有されていない気がする。
線ではなく点の話では、話の聞き方みたいなアジェンダで話されたりするが、それがどういう意味を示すのか?という話はなかなか聞かない。
多分、話す枠組みがあまりないからかもしれない。この話をどう話せばわかりやすいのかいまいちわからない。
個人的には、これは「広義の"編集"」の話なんだと思う。
いかに情報を扱って、ひとに届けるか、という話。
そういう意味も含めて、「良い受け手」・「良い聴き手」って具体的に誰だろう?と考えると、すぐ思い浮かんだのは2人。
1人は、↑にも出てきたTaiTan。自分でもめちゃ話せるが、聴き手としての時のほうが出力が出ている気がする。
特に、流通空論のときの場の掌握力は凄まじい。一流のビジネスパーソンに対して、真正面から向き合って、深掘りしていくスタイルは毎回驚かされる。
もう1人は、Takramの渡邉康太郎さん。
TAKRAM RADIOを最近聴くようになったのだが、ゲストの幅が広すぎる。そこに対して、毎度的確な聞き役として担う役割が抜群すぎる。
この人だからの空気感だし、会話のテンポが本当に良い。毎度楽しそうに話している姿が容易に目に浮かぶ。
そういえば、そんな2人が話している回もあったわけだが、この2人は「良い聴き手」であると同時に、自分でも普通に話せる方々なので、そりゃ良い会話になるに決まっている。
なんにせよ、「良い受け手」・「良い聴き手」の重要性はどんどん増してくるだろう。
自分自身はなかなか話す方に強みがないので、できるだけ「良い受け手」・「良い聴き手」であれるように、「広義の"編集"」を意識していきたい。
自分で言うのもなんだが、ポテンシャルが全くないわけでもない気はしている。ビジネスにおける会議のファシリテーションとかも同じだと思うので。
そういうところでも訓練しながら、精進したい。
そういえば、こんなnoteがあったことを思い出した。
本質的には似た話なのだと思う。何かに対して、どのようなリアクションをするのか?ということ。
もちろんなんでもかんでもリアクションすれば良いわけではない。リアクションしないことも、一つのリアクションである。
それでも、こういう「受け手」でありたいと思う。
そこにはいつだって、「別の案」でいく可能性が、常にある。では何が「この案でいこう!」と合意するための決定打になるか?それは、あなたの頷きである。
ティム・インゴルドは、私たちの生とは「応答し続けること」であると述べた。完全独立した私自身から、美しい理想的なアイデアが、ある日突然浮かびあがってくるのではない。生きることとは、他のものたちの生に応答することそのものなのだ。そしてその応答は、また翻って、他のものたちの生をいきいきとしたものにする。
だとすれば、応答しないあなたは、一体なんのためにそこにいるのか?