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「他人でしか自分を満たせないなんてかわいそうだよ。」って言葉は私には必要ない

「他人でしか自分を満たせないなんてかわいそうだよ。」

この言葉を言われるたびに不安になる。

人の人生に文句をつけないでほしい。自分で自分のことを愛することができるならもうやってるよ。言われなくても。

でもそれができないから、他人で満たしてもらってるの。

褒められるために頑張る私だけど、そんな私の生き方だって幸せだよ。だって、褒められる環境をさえ作ってしまえば素直に頑張れる私がいるってことだもん。

褒められるために、がんばるようになった。褒められることで私は満たされる。

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いつからだろう。

わたしは、褒められることで自分を満たすようになっていた。


学校で100点を取った時すごく嬉しかった。それは親が褒めてくれたから。習字で段をとれば取るほど、いろんな人からすごいねって褒められた。
水泳の大会で賞を取った時はすごく嬉しかった。それは周りのみんながすごいって言ってくれたから。
いい大学に受かった時すごく嬉しかった。それは皆に誇れたから。

私はいつのまにか人に褒められることで自分を満たすようになっていた。それがいつしか、褒められるために頑張るようにもなっていた。


そんな私の承認欲求の方向性を凄く歪んでるって言う人もいるだろう。 自分で自分のことを満たせない私はもう23歳。普通の大人の年齢である。

早い人はもう子供を産んでいるのかもしれない、早い人はもうビジネスで成功を遂げているのかもしれない、早い人は社会人で毎日毎日一生懸命頑張っているのかもしれない。

ただ私は日常ぼーっと過ごしている普通の大学生。そしてまだ承認欲求は親や友人ネットの中に褒めてくれる人、そんな人たちからでしか自分を見させない自分でいる。

このことに気がついたのは最近のことじゃない。もう大学生の初めから自分でも理解している何とかして変えたいと思っている部分でもある。

対人関係が毎回うまくいかないのもそのせいだと思う。

自分を自分で認めてあげることができない。だから他人に嫌われたりすると自分のことを肯定できなくなってしまう。自分のことを信じることでさえできなくなる。

他人に意見を否定されると自分そのものが否定されたように感じ過剰防衛してしまう。そして常に人に流されやすい人間である。

そんな自分を嫌いである。だからそもそも私は人と深く仲良くなることが全然好きじゃない。

こういう感情になった原因を自覚している。それは小さい頃にすぐ虐められてた経験が強く残っているからだと思う。原因を探ってカウンセリングに入って改善しようと試みたけれど、幼少期の10年ぐらいの経験はそんな簡単に変えることができる容易い問題じゃない。

だから、私はこの感情とともに一生懸命生きようと思っている。
少しずつこの感情を改善していきたいと思うけれど、 この感情とともに上手に生きていきたいとも思っている。

私が付き合う人の必須条件は「私を応援してくれる人」

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私を褒めてくれる人が私は好き。「偉いね」 って言ってくれる人が好き。

そしてその偉いね私が素直に受け入れることができる人が私は好き。だから私の好きな人は、経験値が高い人や私が尊敬できる人、そして常に前を向いて頑張っている人。

私がすごいと思わない人に偉いねって言われても正直なんかバカにされてるような気にしかならない。 他人を下に見ることをあんまり良くないって知っているけれど、 正直心のどこかで自分と他人を比較して優劣をつけている。

それを言葉や行動に表すことはないけれど、私はいつもどこかの物差しで他人と自分を比べている。

私よりすごい人と思わない人から「偉いね」って言われたって私は満たされない。ほとんどそんな人には出会わないのだけれど。

私を満たしてくれる人と私は付き合いたい。私を満たしてくれる人がそばに入れば私は前向きになれる。自分勝手なのかもしれないけど しれないけどそれが私。わがままなのかもしれないけどそれが私。そんな私を認めてくれる人と付き合っていたい。

「そんな考え方だと、世の中甘くないから生きるのしんどいよ」って言われる。

確かに他人からでしか自分を満たせない人間はつまらない人間なのかもしれない。

だけど感情の問題は自分の頭では整理できない。

たとえば、りんご美味しいと思って食べる人が、いくら他人にリンゴはまずいものだよと教えてもらっても、りんごはいつまでも美味しい。つまり感情というものは自分の頭で理解しているものではなく感じるものなのだ。

他人で満たされるという私の感情も同じ。頭の中では自分で自分を満たしたいと思っている。どうやったら自分を満たすことができるかを考えることだってできる。それでも、自分で満たすのはすごくすごく難しい。

ある映画の俳優さんが言っていた。

「そもそも、 生命は自分自身だけでは完結できないように作られているらしい。生命は全てその中に欠如を抱きそれを他者から見たしてもらうようにできている。」って。

人は一人では生きていけない。人と支え合って生きている。だから一人で完結できない問題だったら他人に頼んでもいいんじゃないかって思うのが私の考え方。


何ごとにも頑張るきっかけはなんでもいいよ。一歩を踏み出せることが大事なの

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頑張りたいのに、頑張れないというのは、わがままでもなんでもない。
やる気がないわけでもない。

「しなければ。」と頭でわかっていても、それを実際に行動するには本当に難しい。そして「やりたいこと」をするためには必ず「やりたくないこと」「しなければいけないこと」もたくさんついてくる。

そんな「やりたくないこと」をやるためにお金をかけている人だって世の中たくさんいる。「しなければいけないこと」をしたくないからっていう理由で葛藤したり悩んだりする人だってたくさんいる。

私だってそう。したくないことはたくさんある。やりたくないけどやらないといけないことだってたくさんある。

でも私は、そのしなければならないことを他人に褒められたらできる。褒められることがわかっていればできる。褒められたらしたくないことでも我慢できる。いくら億劫だと思っても他人が見てくれさえいれば始めることができるの。

お金をかけずとも悩まなくても他の人が褒めてくれさえいれば私はできる。頑張れる。

だから、それって他の人にはない強みだと思ってる。だって何をしても褒めてくれる人が私にはいるから。

私の友人はなんでも褒めてくれる。気にかけてくれる。ツイッターで私を応援してくれる人はいつも褒めてくれる。それを言葉にして伝えてくれる。

私が満たされる。

だから、他人に褒められるために頑張るって素敵なことだと思ってる。


私には応援してくれる人がたくさんいる。だから頑張れる。それでいいの

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私は、みんなの理想みたいに生きることなんてできない。ほんとは私も理想通り行きたかった。みんなみたいにエリートみたいに生きたかった。

でも、いま私はそれを幸せと感じない。

きっとそのみんなの思う幸せのラインに乗った方が何千倍も楽なんだろうけど、私には私の幸せの感じ方がある。

だからこのままでいい。

私が直感で思った方向でいい。私は正解を選んでる。思えば、さるの時代から私たちは直感を信じで来たからここまで人類の文明が発展して来たと思う。こんなごちゃごちゃした世界で正解と言われる道ができたのはほんの300年ぐらいじゃないかと思う。

そんな300年のうちに築かれた正解と言われる道にしたがって苦しみながら生きるなんて私には無理。だから自分は自分の信じる道を進むの。

私は、私にあった幸せの感じ方がある。

もしこの道が他の人から不幸に見えたとしても私が幸せであればいい。

どんな生き方をしたって後悔は絶対にする。でもそれなら自分で納得して選んだ道でする後悔が最も意義がある後悔だと思ってる。

こんな上手に生きていくことができない不器用な私だけど、それでも私の人生うまくやっていけてる。素敵な人に囲まれて、 素敵な人たちとほどほどの距離を持って私は私の人生に幸せを感じてる。

私はいろんな人に助けてもらいながらも自分を好きでいられるとしたらそれでいいと思ってる。それが私の幸せの生き方だもん。


P.S.
最後まで読んでくれてありがとうございました。感情で書いてしまった部分が多いのですが、私のような人はすくなくてもいるのではないのでしょうか。そんな人のことをいろんな人にもっと知ってほしい。そんな思いで書きました。この記事を読んだ人に少しでも救われる人がいますように。読んだ感想をコメントで聞けると嬉しいです。

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RINKO@女子大生のん
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