私の、強迫性障害のたくさんの症状について
①はじめに
今日はタイトルにもある通り、私が強迫性障害だったとき、どのような症状に苦しめられてきたのかについて、よりリアルにお話し出来たらいいなと思います。
今、強迫性障害で苦しんでいる方の中には、例えば「不潔恐怖」であったり、「確認行為」であったり、特定の症状が主として現れてきているという方も多くいらっしゃると思うのです。
しかし私の場合は、一般的に言われている強迫性障害の症状はほぼ全て経験してきました。
本当に数多くの、症状に苦しめられてきたので、言ってしまえば、「強迫性障害」をマスターしてきました。
(全く喜ばしいことではないですが…^^;)
そんな私が、具体的にどんな症状で、どんなふうに苦しめられてきたのか、当時の状態について、早速お話していきたいと思います!
この時点でもし少しでも気になっていただけたら、ぜひこのままスクロールしていただけると嬉しいですっ!
それでは見ていきましょう!
②私の主な症状について
⑴不潔恐怖
(汚れや菌などを過剰に恐れてしまうこと。)
→「自分は汚い」という意識から、また手の菌を全て洗い流したいという気持ちから、手洗いを過剰に行っていました。
その中でも、血に対する過度な恐怖心があり、気がついたら何時間も手洗いをしていることもよくありました。
特に、冬場の手洗い行為は悲惨でしたね。
ただでさえ冬は乾燥するのに、度重なる手洗いによって手の甲は細かい赤切れでいっぱいになってしまっていました。
けれど、それを見て、また「血がついている!汚い!」となってしまい、手洗いを繰り返すという、終わりのない負のループがあって、本当に地獄のような気分になってしまっていました。
⑵加害恐怖
(誰かに、何かに危害を加えたかもしれないと不安になってしまうこと。)
→特に街を歩くときに、すれ違う人にぶつかってしまっていたのではないか、それでその人に危害を加えてしまっていないかと不安になり、その相手に大丈夫かどうか確認しに行きたい衝動にも駆られてしまうので、外に一歩出るだけでも、本当に苦痛でした。
また、ありもしないのに、仮に自分がナイフを持っていたとして、それをふと相手に傷つけてしまっていないか、そんな妄想による恐怖心とも闘っていたりしました。
⑶確認行為
(本当に出来ているかどうか、不安でたまらなくなり、何度も確認せずにはいられなくなること。)
→玄関の鍵はきちんと閉められているか、家を出る前に何度も確認したにも関わらず、家を出てしばらくしてもやっぱり気になって、駅にも着いたのにまた不安になって確認しに家まで戻ったり、トイレの電気がきちんと消えているか、目視で、指差しで、声出して、スイッチの部分を過剰に確認したりしていました。
「本当に大丈夫なのか不安でいっぱいになったとき、もし出来ていなければまずいことになる」そのように考えた瞬間、日常の全てが確認行為の対象となってしまっていました。
⑷儀式行為
(自分で決めた手順で物事を行わないと悪いことが起きてしまうと不安になったり、納得が出来ず気持ち悪くなってしまったりして、毎回同じ手順でやらなければ気が済まなくなること。)
→お風呂で体を洗う順番が必ずあって、少しでもその順番を間違えてしまうと、もう一度やり直してしまい、なかなかお風呂から上がることが出来ませんでした。
また、横断歩道の白い線のところを必ず踏んで歩かないといけないというマイルールがあり、その通りにならないと、横断歩道の初めから戻ってやり直したりもしてしまっていました。
⑸数字へのこだわり
(不吉な数字や幸運な数字に過剰にこだわってしまうこと。)
→特に「4」や「9」の数字を見ると、「死」や「苦」を関連付けてしまい、悪いことが起きてしまうのではないかと過剰に気にしてしまい、必死に避けようとしていました。
それでもその数字に遭遇してしまったときには、何か不幸なことが起きてしまうのではないかと、そのことで頭がいっぱいになり、不安でどうしようもなくなり、「死」や「苦」という漢字にさえも囚われはじめたりしていました。
⑹縁起恐怖
(神や仏、縁起などによって、バチが当たるのではないか、不幸が起きてしまわないかと不安になってしまう考えのこと。)
→道徳的に悪いイメージがほんの少しでも頭に浮かぶだけで、「これはきっと神様が見ているから、私はバチが当たるんだ。」という不快な考えに囚われてしまっていました。
そのため、常にどこかで自分に罪の意識があり、警察の人を街中で見かけるだけでも、「捕まってしまうのではないか」という恐怖心に襲われ、本当に苦しかったですね。
③日常での、リアルな症状の現れ方
このように、私はかつて本当に様々な症状に苦しめられてきました。
しかしこれも全て一例で、症状はその時々によって多岐に渡るので、合併として現れるものなど、様々でした。
例えば、⑴不潔恐怖と⑵加害恐怖の合併で、自分の手についていたかもしれない血が、相手に手渡しするものに付着してしまって、それで相手に何か命の危険に及ぶ影響を与えてしまっていたらどうしようなどと、不安になってしまったこともありました。
そのほかに、⑴不潔恐怖や⑶確認行為、⑷儀式行為と⑸数字へのこだわりの合併で、手洗いや確認行為をするときの回数、自分にとって心地のいいリズムを刻むことへのこだわりなど、自分にとって納得のいく雛形みたいなものがあり、それを上手く達成するまで何度でも繰り返し行っていたりもしました。
また、こうした症状は、全てが常にフルで現れてくるようなものではありませんでした。つまり、⑴〜⑹が同時に全て現れることはないということですね。
詳しく見ていくと、例えば今回は「確認行為」と「不潔恐怖」がメインだけど、また次のときには、それとは別に「加害恐怖」が現れているといった感じでした。
なので、「確認行為」と「不潔恐怖」と「加害恐怖」が同時に現れるようなことはほとんどなく、「加害恐怖」の症状に苦しんでいる時は、「確認行為」や「不潔恐怖」の症状はもはや気に留めるものでは無くなっているといった感じでした。
つまり、今の自分には「加害恐怖」で手一杯なので、「不潔恐怖」や「確認行為」のことまでは、頭が回らないといった感じですね。
このように、症状はその時々によってメインとなるものが変化するので、症状が常に「転移」しているような感覚はありましたね。
けれど、その中でも大体、型が決まってくるので、似たような症状を相手にすることも多々あり、「またこれね!」という感覚にもよくなっていました。
④まとめ
以上が私のリアルな症状と、その現れ方についてのお話でした。
いかがでしたでしょうか?
強迫性障害は、行動だけでなく、頭の中でも様々な不快で嫌な、苦しい考えに囚われてしまっているものでもあり、それは日常生活と密接に絡まり合って発現してくるので、「生きる」という行為そのものを苦しめてしまう、本当に辛いものだと思います。
その元当事者として、私自身が分かることはリアルな経験を通して、今後も引き続き発信していきたいと思います。
私の過去の体験が、あなたにとって共感できるもの、励まされるもの、役に立つものになっていたら、とっても嬉しいです。
それではまた次の記事でもお会いしましょう☺︎
りん
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