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居場所はもっと他にもあるから、大丈夫だよー学校に馴染めないあなたへー
どうしても、「自分にはここしかない」って思ってしまうこともあるかもしれません。
私もそうだったので、よく分かります。
特に長い時間を過ごす学校というのは、より一層その気持ちを強めてしまう存在かもしれません。
けれど、決してそんなことはないのです。
そこであなたの人生が全て決まる場所ではないからです。
100年時代とも言われる長い人生で考えれば、実はほんの数年間です。
さらに数十年でも経ってしまえば、思い出したくても思い出せなくなってしまうような、そんな一過性の時間なんです。
かつて学校にも馴染めず、ろくに友達もおらず、自身の境遇に失望していた私ですが、これまでの経験を踏まえて、「あなたがあなたらしく、輝ける居場所は他にも必ずあるから大丈夫だよ」ということをお伝えしたく、今回は記事を作ってみました。
なぜ伝えたくなったかと言えば、一番は私自身が周りの大人からもっとそう言われたかったという気持ちもあるからです。
なので今度は、私がそれを実現していこうという小さな試みです。
どうぞ、最後までお付き合いください。
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小中高あたりまでは、特に自分で環境を選ぶことも難しくて、与えられた場所の中でなんとかやるしかなかったりすると思うんです。
でもそれって実はすごく大変なことなんですよね。
大人には果たさなければいけない責任もありますが、その分自由に自分で選択していけます。
けれど、子どもの頃はそれがなかなか出来ません。
どうしても生まれ育った環境などに左右されてしまうところもあるので、実は結構子供のときの方が力量が試されているようなところもあります。
特に義務教育の小・中学校のときは、それがより顕著かなと思うんです。
公立だったら、自分が住んでいる地域の中で、決められた学校に通って、自動的にクラスに振り分けられます。
もし仲良しの子が何人かいたら、いいのかもしれませんが、気の強い子がいたり、やんちゃな子がいたり、ちょっと苦手だなぁと感じるタイプの同級生が結構いたら、その瞬間からお先真っ暗な気持ちになってしまったりもすると思うんです。
そうなってしまっても、子供の頃はそれをどうすることも出来ません。その現実をただ見つめることしか出来ないのです。
言ってしまえば、全てが運任せのような、無作為な分類の中にいるのかもしれません。
もちろん、それ自体に良し悪しをつけたいわけではないのですが、クラスというのはその最終地点だったりもするので、余計混沌とした環境になっているように思うのです。
なので、いじめなどの残酷な悲しい出来事も起こりやすかったりするのではないでしょうか。
例えば、将来は医者になる人もいれば、作家になる人もいて、サラリーマンや主婦/夫になる人もいて、得意なことや苦手なこと、価値観も全部異なる人たちが、同じ地域に住んでいるという理由だけで、毎日同じクラスで一日のほとんどを一緒に過ごすことになるんですからね。
これは、大人になるとなかなか経験できない特殊な環境だったりします。
なので、クラスや学校の空気感が肌に合わないとか、なんか馴染めないとかそういう相容れないことがあったとしても、全然当たり前なことだったりするのかなと思うんです。
なので、もし気の合う友達が一人もいないとしても、学校が楽しいと思えなくても、それが問題なことだとか、不幸せなことだとか、最悪なことだとか、そう言われれば、決してそんなことはないと思うんです。
その環境がただ合わなかったというだけで、その分もっと他のところで、あなたのことを歓迎してくれる場所は必ずありますから、何も心配しなくても大丈夫なのです。
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ちなみに私の場合だと、特に中学生の頃は、もう正直ほんと最悪でした。笑
今も一応地元にはいますが、当時の友達は一人もいません。割と都心にある学校で、ギスギスしてて、本当に怖かったですね。
当時は学校の先生の間でも、私の学年の女子は特にキツい子が多いと囁かれたほどでした。
同級生が、何なら先生もいる前で、サラッといじめられてしまったり、クラスの行事で、一人でもミスをしようもんなら、ヒエラルキーのトップ層にいる方々が睨みをきかせてくる…
そんな感じの学校だったんです。
もちろん私は、そんな状況に耐えられるわけもなく、足はガクガクになるし、取って食われてしまうんではないかと毎日ビクビクしながら暗い顔をして過ごしていました。
そうすると、思ってしまうんですよね。馴染めていない私が、おかしいんだと。異端者なんだと。
でも、決してそんなことはありませんでした。
それは私のその後の人生が、そう証明してくれました。
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もしあのとき、その環境に馴染めてしまっていたら、私という人間の、何かすごく大切なものを落としてしまっていたかもしれません。
けれど、馴染めなかったということは、きっと私自身が大切にしていることを、そのまま大切にしながら生きることができたのだと思います。
だからこそ、今では私が私らしくいることを好いてくれるような、とっても素敵な友達にも出会えています。
特に大学時代は、本当に素敵な出会いに恵まれて、中でも仲良くなる子はなぜか地方出身の子が多くて、これまでの生きてきた、見ていた世界を広げてくれる出会いでもありました。
また、大学は専門的に学ぶところでもあるので、私と同じように歴史が好きな子たちの集まりでもありました。
その時点で、大きな共通点ですし、何となく雰囲気や考え方も似ていて、今でも私にとってかけがえのない友達です。
そして更に、卒業して就職すると、今度は学生時代の枠を超えて、性別も年齢も違うけど、似たような価値観や特技を持った人たちが一つの会社に集まって働くことになります。こうなると、世界はもっと広がるはずなんです。そこでの成長は、より自分らしく輝ける居場所になってくれると思うのです。
このように、過去の辛くて苦しかった自分を全て肯定できる出会いや瞬間というのは、必ずどこかのタイミングできっと訪れるものだと思います。
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なので、たとえ今、学校やクラスに馴染めなくても、本当は全然大丈夫なんです。
けれど、そうは言われても、やっぱりしんどいものはしんどいかもしれません。私もそうだったので、すごく分かります。
もしそうだとしたら、家でも学校でもない、あなたにとっての、ホッと安らげる第三の居場所を見つけてあげてみてください。
趣味の世界でもいいし、それに通じたコミュニティに何か参加してみるのだっていいと思います。
そこにいるときは、あなたがあなたらしくいられる居場所になってくれるはずです。
そんなこんなで、あっという間に大人になってしまうので、いつかあなたがあなたらしくいることを大歓迎してくれる人たちに出会うまで、あなたが好きなことや得意なことを磨いておいてみてください。
今の環境に死にたくなっても、最悪だと思ってしまっても、絶望しても、あなたの人生はそこだけでは決して終わらないので、「生きていて良かった」「出会えて良かった」と思う瞬間や人に、必ず出会えますから、その時までどうか生き抜いてください!
絶対に大丈夫ですからね!
「不登校で精神疾患だったし、ろくに友達もいなくて、絶望しかなかった」りんより
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