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#散文
ジャンルを壊す、ジャンルを崩す(言葉とイメージ・07)
今回は、以下の記事の続きです。
・「こわれる・くずれる(文字とイメージ・05)」
・「壊れる、崩れる(文字とイメージ・06)」
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小説でも、詩でも、絵画でも、音楽でも、映画でも、芸でも、あるいはスポーツでも、何でもかまいません。そのジャンルを壊したり、崩すということがあるのではないでしょうか?
これまでに、そうした「壊す」や「崩す」が起きてこなかったでしょうか? そうし
壊れていたり崩れている文は眺めているしかない(散文について・01)
今回は「ジャンルを壊す、ジャンルを崩す(言葉とイメージ・07)」の続きです。
「散文について」という連載を始めます。私は一般論やなんらかの分野の専門用語や学術語には疎いです。そんなわけで、ここでは私にとっての散文と小説について書きます。
*最初から壊れている
文学史的なことは知りませんが、私にとって散文とは最初から壊れているものというイメージがあります。
何をどんなふうに書いてもいい形
顔(散文について・02)
再掲です。
*「ジャンルを壊す、ジャンルを崩す(言葉とイメージ・07)」
*「壊れていたり崩れている文は眺めているしかない(散文について・01)」
今回は、上の記事の続きですが、以前に散文――「何をどんなふうに書いてもいいもの」と私はイメージしています――を模索=模作していたときに投稿した文章を再投稿します(少し加筆してあります)。
散文は眺めるものだ、とも私はイメージしているので、
「どこでもない空間、いつでもない時間」(「物に立たれて」を読む・08)
*「転々とする、転がる、ころころ変わる(「物に立たれて」を読む・06)」
*「客「である」、客「になる」、客「を演じる」(「物に立たれて」を読む・07)」
古井由吉の『仮往生伝試文』にある「物に立たれて」という章を少しずつ読んでいきます。以下は古井由吉の作品の感想文などを集めたマガジンです。
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引用にさいしては、古井由吉作の『仮往生伝試文』(講談社文芸文庫)を使用します。
敬体小説を求めて(散文について・04)
「敬体・常体、口語体・文語体(散文について・03)」の続編です。
*敬体と常体
あれは「です・ます調」で書かれていた、とはっきり記憶している小説があります。童話や昔話を除いての話です。
どんな文体だったかを覚えている小説はそんなには多くないのですが、敬体で書かれた小説として、それがとくに印象に残っているのは、お手本にしたからなのです。
私はエッセイのたぐいはだいたい「です・ます体」で書
始まりと途中と終わりのあるものを、始まりと途中と終わりのないものとして読む(散文について・05)
違う連載の記事ですが、「「どこでもない空間、いつでもない時間」(「物に立たれて」を読む・08)」の続きとして書きます。
「壊れていたり崩れている文は眺めているしかない(散文について・01)」の続編でもあります。
*はじめに
みなさんは、ある種の短詩、たとえば俳句をどのように鑑賞なさっているでしょうか?
俳句であれば、五七五です。短いです。短いからこそ、できることがあるように思います
VRで自分に会いにいったその帰りに
写真機では長いあいだ自分を撮ることができなかったそうです。簡単に撮れなかったというべきかもしれません。それがいまではできます。スマホのカメラで可能ですが、簡単というわけではないでしょう。誰もがけっこう苦労して撮っています。
いろいろテクニカルな問題があって苦労なさるのでしょうが、「こんなはずじゃない」とか「私はこんなふうじゃない」という不満が根っこにあって、スマホに付いているレンズを恨みつつ