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介護

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介護業界・現場・運営に関する問題や疑問などの記事をまとめております。
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#高齢者

高齢者は賢人でも人格者でもない、ただの人

高齢者は賢人でも人格者でもない、ただの人

年を重ねるほどに色々な知識や経験が増えていく。

年を重ねるほどに人間として厚みが出つつ、柔和にもなっていく。

――― と思っていた時期が私にもあった。

しかし、いざ自分が年を重ねてみて分かったことは、人間としての厚みもなければ柔らかくもなっていないことだ。

確かに生きいる分だけそれなりに知識や経験は増えているが、それが自分の人格に反映されているかと言えば自信がない。

さらに高齢者介護の仕

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高齢者に"イラっ"としてしまう理由

高齢者に"イラっ"としてしまう理由

高齢者介護サービスのお客さんは、当たり前だが高齢者である。

普通であればお客さんに対して怒鳴ることはない。

しかし、そのお客さん(高齢者)に対して声を荒げる介護スタッフはいる。「何で分からないの!」「もぉ~、早くしてよ」といった感じだ。

忙しいのは分かるが、声を荒げるのはいささか問題である。他の仕事であれば、どんな理由があってもお客さんを怒鳴るなんてあったら大問題になる。

もちろん、介護サ

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高齢者介護における「指示が通らない」という身勝手な言葉

高齢者介護における「指示が通らない」という身勝手な言葉

介護対象である高齢者に対して「指示が通らない」という言葉が使われることは珍しくない。

「指示が通らない」とは、介護者が伝えている内容に対して、それを言われた高齢者が理解できない・その通りに動けないといった状態を指している。

予めお伝えしておくが、私はこの言葉があまり好きではない。

というのも、そもそも指示とは「何かの目的を果たすために、相手に意図どおりに動いてもらう」ということである。

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介護事故の予防策の大半は「できるだけ気を付ける」しかないのが現実

介護事故の予防策の大半は「できるだけ気を付ける」しかないのが現実

介護現場では「必ず」事故が起きる。

事故までいかずとも、いわゆる”ひやりはっと”と呼ばれる、事故間際の「あぶなかった~」ということはもっと起こる。

――― なぜ、(ひやりはっとも含めて)事故は起こるのだろうか?

それは、人間が行動しているからだ。
人間は行動しているだけで事故リスクがあるのだ。

生きるということは、自分が行動すること、そして自分以外の誰かが行動することによって成立している。

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食材廃棄を容認してまで、高齢者の食事のわがままに対応するべきか?

食材廃棄を容認してまで、高齢者の食事のわがままに対応するべきか?

高齢者施設では、一般的に朝・昼・夕の食事が提供される。
おやつが提供される施設もあるだろう。

高齢者なので飲み込みにも配慮する。一口大や細かくきざんで提供したり、トロミ剤などを用いて提供することもある。アレルギーなどの禁食の提供は控えるし、栄養制限のある方は量やカロリー、塩分にも気を付ける。

このくらいは、おそらくどこの施設もやっていることだと思う。

逆に言えば、現在の介護施設の食事提供に関

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高齢者介護は、誰のためにあるのか?

高齢者介護は、誰のためにあるのか?

介護事業を営んでいると、ふと疑問に思うことが色々ある。
その1つに「高齢者介護の仕事は、誰のためにあるのか?」がある。

この疑問に対して「え? 高齢者のためだろう」と呆れられるかもしれない。

確かに介護サービスを受けたり、介護施設に入所するのは高齢者だ。

しかし、その費用を高齢者本人が負担していることは稀である。(手続きや管理も含めて)実質的にはご家族や介護保険が支えている。

それは高齢者

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「生きているだけで十分」と言うけれど

「生きているだけで十分」と言うけれど

お盆休みになると、介護施設は面会や入所見学が増える。運営している介護施設でもそれは同様であり、毎日のように面会と見学対応をしている。

「お忙しい中、すいません」と言われることもあるが、ご家族が面会にくると入居者(高齢者)はとても喜ぶ。面会が終わった後は心身の状態が目に見えて良くなる入居者もいるし、興奮して夜間に落ち着かなくなる方もいる。

それらは嬉しい気持ちからの反応であることから、施設および

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福祉はどこまで支援をすれば良いか? まずは当人の”できること”を尊重することが先かも。

福祉はどこまで支援をすれば良いか? まずは当人の”できること”を尊重することが先かも。

「福祉」とは、どこまで支援をすればいいのだろうか?

介護の仕事をしていると、そんなことを考えることがある。

私で言えば「高齢者に対してどこまで支援をするのが適切なのか?」ということだが、そもそも何をもって適切と言えるのかが微妙だ。

介護では「自立支援」という言葉がある。ザックリ言えば「できることは本人が行い、できないことは支援する」ということだ。

誰もがそうと言うわけではないが、社会が思う

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虐待案件は様々な人達の感情が渦巻く。事実確認は大変だが、慎重かつ中立性をもって行う必要がある

虐待案件は様々な人達の感情が渦巻く。事実確認は大変だが、慎重かつ中立性をもって行う必要がある

介護事業を運営していると、現場やご家族、利用者(高齢者)本人から虐待に関する申立てを受けることがある。

「夜勤の〇〇さんが、利用者の✕✕さんを怒鳴っている声が聞こえた」

「△△さんの腕に大きなアザがある。まるで叩かれた跡っぽい」

「あの職員さんはね、私のことを部屋に閉じ込めようとうするの」

――― 介護現場いれば、直接的でなくてもこのような話を1度は耳にすると思う。共通して言えることは、そ

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高齢者は「弱者」で、介護者は「強者」なのか?

高齢者は「弱者」で、介護者は「強者」なのか?

高齢者虐待という社会問題がある。

高齢者虐待とは、高齢者が何かしらの虐待行為を受けることで、当人の尊厳を損ねている、あるいは尊厳を損ねる可能性を有した状態である。

何かしらの虐待とは、身体的虐待・心理的虐待・経済的虐待・性的虐待・介護放棄(ネグレクト)の5種類が挙げられる。

それぞれの虐待の形態については本記事では割愛するとして、いずれにせよ虐待行為はあってはならない。

――― が、なぜ虐

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「介護してやっている」と傲慢な考えを抱いてる人ほど、介護を通じてアイデンティティを確立しているという事実

「介護してやっている」と傲慢な考えを抱いてる人ほど、介護を通じてアイデンティティを確立しているという事実

介護施設で働いているスタッフの中には、次のような考えで介護業務にあたっているスタッフが必ずいる。

「ここにいる高齢者は自分では何にもできない」
「だから自分が介護してやっているのだ」

もちろん、このような発言を直接的かつ声高に言うことはない。しかし、日々の申し送りやカンファなどの話し合いの場、そして何より利用者たる高齢者と接している態度で見えてしまう。

このようなスタッフは、自分がこのような

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介護している側が受ける虐待もある

介護している側が受ける虐待もある

高齢者虐待とは、いわゆる社会問題の1つである。

社会問題とは「弱者」に焦点と視点を当てている。

そして高齢者虐待は高齢者が「弱者」という扱いだからこそ、その不条理さから社会全体で守ってあげようという認識になる。

しかし、「弱者」の周りにいるのは「強者」ではない。
「弱者」の周りにいる人たちは普通の人間だ。何なら、その人たちだって視点によっては「弱者」にだってなりうる。

例えば、社会的に「弱

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「介護人材を何とか確保しよう」とするのはもはや現実的ではない。だから、非現実的な解決策を検討(妄想)する

「介護人材を何とか確保しよう」とするのはもはや現実的ではない。だから、非現実的な解決策を検討(妄想)する

「介護の担い手不足」というのは誰もが知っている話であるが、この問題を根本的に解決することは現状では不可能だと思っている。

それは介護事業を運営している立場からの、現実を見ての感想である。

介護人材における問題はずっと前から出ている話であるが、その解決の糸口すら見えていない。

そもそも、高齢化社会という問題に対して「介護人材を何とかして確保しよう」「介護の担い手を増やしましょう」という発想を見

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ケアプランという人生哲学を問われる場面だからこそ、介護の専門家が必要

ケアプランという人生哲学を問われる場面だからこそ、介護の専門家が必要

介護サービスは、ケアプランというものを立てる。

ケアプランは、介護を要する高齢者本人やご家族の課題や希望を受けて立案される。高齢者本人の「できること」「できないこと」を分析して、できることは本人が行い、できないことを介護の専門職たちが支援する。

しかし、最初から本人の課題や希望、「できること」「できないこと」が明確になっていることは少ない。ある程度のヒアリングはするが、それでもサービスを開始し

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