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高齢者介護における「指示が通らない」という身勝手な言葉

介護対象である高齢者に対して「指示が通らない」という言葉が使われることは珍しくない。

「指示が通らない」とは、介護者が伝えている内容に対して、それを言われた高齢者が理解できない・その通りに動けないといった状態を指している。

予めお伝えしておくが、私はこの言葉があまり好きではない。

というのも、そもそも指示とは「何かの目的を果たすために、相手に意図どおりに動いてもらう」ということである。

となると、介護における指示とは、介護者が高齢者に「こうして欲しいからこう動いてよ」と要請していることである。

それに対して、理解力や心身状態が低下している高齢者がその通りに動かないことを「指示が通らない」というのは、介護者の身勝手だと思うわけだ。 


 
もちろん、これは正論であることは重々承知だ。

私だって介護の仕事として高齢者に介助している最中、「もっと早く動いてほしいな」「声掛けしてもそっぽ向いて介助が進まない」といったようにイライラしそうになることはある。

しかし、そのようなときこそ焦らないようにしている。相手だって人間だ、いくら手伝ってもらわなければいけないと分かっていても、自分より年下の若造に指示されるのは面白くない人だっているだろう。(若造というほど若くないが)

それに介護する側だって、そして私だって人間だ。いきなり着替えを強要されたりトイレに連れて来られて「さあ、動いて」なんて言われたら、病院などは別として「何だこいつ」と思うだろう。

それに根本的な話として、お互いに敵対心を抱いてないとしても、相手の言っていることを理解できない、あるいは理解できても相手の思ったとおりに行動することは難しいだろう。

「指示が通らない」なんていうのは、介護を要する高齢者でなくても認知症でなくても、実際のところ誰でも起こりうる状態なのだ。

「指示が通らない」という人は、自分はまるで他人から言われたことを100%理解し、それに対して100%の期待を応える行動ができるだろうか?
(少なくとも、私はできない) 


 
また、上記でもお伝えしたように、指示とは言ってしまえば「他人をこちらの思ったとおりに動いてもらう」という前提の声掛けである。

もしも、その通りに動けるとしたら、それはもはや機械であろう。
しかし、私たちは機械ではない。人間だ。

そう考えると「指示が通らない」なんて普通であると考えたほうが良い。

それは相手がこちらの言っていることを理解できなかったり、理解できてもその通り動けなくても普通なのだ。
そして自分が相手の言っていることを理解できなくても、相手の期待に応えるように動けなくても普通なのだ。

「私の言っていることを理解してくれない!」「私の言うとおりに相手が動かない!」なんて思っても仕方ない。

このように考えると、(大変失礼ながら)高齢者は「指示が通らない」ことがあっても当然の話くらいに考えればいいのだ。むしろ、指示が通ったと思ったときは「ラッキー」くらいに思えばいい。

・・・まぁ、そんなうまく割り切れないのは分かっている。上記でもお伝えしたように、私だって仕事でも介護中にイラりとすることはある。そんなときは「怒ることだってある」と認めて「ま、仕方ない」と割り切る努力をしている。これも精神修行なのかもしれない。

そんなことを考えながら、今日も排泄介助になると頑なに応じない利用者(高齢者)を相手に「今日も我慢くらべだ」と試行錯誤している。


ここまで読んでいただき、感謝。
途中で読むのをやめた方へも、感謝。

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