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高齢者は「弱者」で、介護者は「強者」なのか?


高齢者虐待という社会問題がある。

高齢者虐待とは、高齢者が何かしらの虐待行為を受けることで、当人の尊厳を損ねている、あるいは尊厳を損ねる可能性を有した状態である。

何かしらの虐待とは、身体的虐待・心理的虐待・経済的虐待・性的虐待・介護放棄(ネグレクト)の5種類が挙げられる。

それぞれの虐待の形態については本記事では割愛するとして、いずれにせよ虐待行為はあってはならない。

――― が、なぜ虐待行為はあってはならないのか?

この手のテーマは「生きる意味とは何か?」みたいな話でもあるし、「そんなの常識だろう」という言われるような話でもある。



虐待の対象から考察してみると、やはり虐待は「弱者」をターゲットにしていることに起因していると思う。

例えば、高身長で屈強なプロレスラーみたいな体格の人を指して「あの人は身体的虐待を受けている」と言われてもピンとこないだろうが、高齢者が身体的虐待を受けていると言われれば「何とかせねば」と思うだろう。

それは高齢者が見た目にも社会的にも「弱者」として分かりやすいポジションにいるからだろう。

では、見た目にも社会的にも「弱者」とされる高齢者を相手に虐待をするのは、一体だれであろうか? ――― 結論から言えば、その「弱者」たる高齢者の身近にいる人たちだろう。そこには介護従事者も含まれる。

そして、何かしらのタイミングで「弱者」たる高齢者の身において上記で挙げたような虐待行為(疑い含む)が発覚したとき、当然のように身近にいる人たちが”当事者”と見なされる。

なお、ここで”当事者”という言葉を使ったのは、虐待行為というのは「犯人探し」ではないからだ。仮に虐待行為を行っていたとしても、虐待というテーマのもとに調査をした結果として”犯人”とはならない。それは別な法律の範疇であって、福祉分野においてはただの当事者と見なすべきだ。



・・・が、それはあくまで理想論である。親が叱りつけるために子供の頭をポカリと叩くような真似を高齢者にすると、その瞬間に虐待になる。一気に犯罪として扱われる。

それはなぜか? おそらく虐待行為を受けた「弱者」たる高齢者に対して、虐待行為(疑い含む)を行った者は「強者」という前提があるからだ。
ここでポイントなのは、虐待行為を行ったと疑いをもたれても「強者」という前提があるところだ。

なんだか言い回しがややこしいので、介護サービスを提供している立場としての経験をもとに説明する。

私は介護施設を運営しているが、定期的に虐待行為(疑い含む)の報告を受ける。それに対して事実確認をして検証し、当人やご家族などの関係者への説明などのプロセスを経て対策や再発防止を整備する。

このような流れにおいては、最初から「おたくの介護職員がやったのでは」という目で見られることだ。まだ申立ての段階で真偽は不明なのに、だ。

それはおそらく、高齢者が「弱者」であるのに対して介護者は「強者」という図式になっているからだと思う。

極端な話、高齢者が「強者」で介護職員が「弱者」ならば、高齢者虐待なんて社会問題はテーマにならない。

社会問題は基本的に「弱者」と「強者」が存在するから社会問題なのだ。




――― では、介護者は本当に「強者」なのだろうか?

確かに高齢者という心身が衰えている存在を相手にすれば、物理的にも精神的にもダメージを与えやすいのは確かである。

しかし、高齢者虐待というテーマにおいて、高齢者の肉体に痣が見つかったり、特定の介護者に怯えているような態度をとっているのに気付いたとき、そこに対して周囲が疑いの目を向けるほどの「強者」なのかと言えば、決してそんなことはないと思う。

むしろ、真摯に介護を行っているのに、周囲の視点で「虐待をしているのでは?」と思われることだってある。

このような話は、介護施設を運営していてよく感じる。こうなると、どんなに弁明をしても事実調査をしても意味はない。

「弱者」たる高齢者に一生懸命に介護をしているところに、介護者は「強者」という偏った前提で「虐待をしているのではないか?」と指摘することだって虐待ではないだろうか?

見方によっては「虐待をしているのではないか?」と指摘する人だって「強者」であり、何の非もないのに虐待の疑いをかけられた介護者だって「弱者」と言えまいか。



このような認識のままだと、高齢者虐待というテーマは高齢者が「弱者」だから事件性があると判断されるものの、虐待を疑われる介護者は「強者」だから疑いが晴れても「何もなくて良かったね」で終わってしまう。

それは介護者によって「良かったね」で済まされる話だろうか?

実際、過去に利用者(高齢者)の思い違いで介護職員が窃盗扱いされたこともあった。また、歩行状態が悪くてあちこちぶつける方が、認知症の症状も相まって「このアザは叩かれたんだ!」と面会に来たご家族に訴えてトラブルになることもあった。

このようなとき、介護者は真っ先に疑われる。それは社会的に高齢者が「弱者」で、そのような人を相手に介護をしている人たちは相対的に「強者」という認識をもたれてしまうからだろう。


――― 我ながら主観的で偏見めいた内容になってしまったし、愚痴っぽくなってきたので、このあたりで止めておこう。

しかし、「弱者」と「強者」はフィジカルの話だけではなく、状況によって逆転したり社会の認識によって誤解をもたらすことがある点はお伝えしたかった。

「真実はいつも1つ」なんて言えない。せいぜい「真実なんて曖昧だ」くらいに考えたほうが良いのかもしれない。

そう思いながら、高齢者虐待というテーマはずっとつきまとうのだろう。


ここまで読んでいただき、感謝。
途中で読むのをやめた方へも、感謝。

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