虐待案件は様々な人達の感情が渦巻く。事実確認は大変だが、慎重かつ中立性をもって行う必要がある
介護事業を運営していると、現場やご家族、利用者(高齢者)本人から虐待に関する申立てを受けることがある。
「夜勤の〇〇さんが、利用者の✕✕さんを怒鳴っている声が聞こえた」
「△△さんの腕に大きなアザがある。まるで叩かれた跡っぽい」
「あの職員さんはね、私のことを部屋に閉じ込めようとうするの」
――― 介護現場いれば、直接的でなくてもこのような話を1度は耳にすると思う。共通して言えることは、その現場を直接見ているわけではないということだ。
あるいは、当時者たるスタッフが悪気なくやっていることが、周囲からみたときに虐待のように見えることもある。
また、ご本人からの訴えは真摯に耳を傾けるものの、統一性が見られないこともある。
虐待の大半は客観性に乏しく、真相を見分けることは非常に難しい。虐待の可能性を考慮しつつも、状況証拠や申立てだけで虐待とするのは危険だ。
まるで爆弾処理のように、慎重かつ迅速に調査をすることが重要だ。
虐待案件において大切なことは、一側面だけで捉えないことである。
冒頭のような様々な申立てを可能性の1つとして、その事象に対して他の見方ができないかを模索することも大切だ。
この役割は、やはり管理職や第三者が行うべきであると思う。それは、現場職員はどうしても当事者に対して先入観でモノを見てしまうため、可能性を探る以前に決めつけになる可能性が高い。
実際、虐待案件が浮上すると「夜勤の〇〇さん、いつかやると思ってた」「遅番の◆◆さんは、あの利用者さんのこと嫌いって言ってたもん」といった噂話や陰口が広がる。
そのため、ときには事実確認を進めている私のところに「まだ〇〇さんに注意してないんですか?」「◆◆さんを担当から外さないと、また利用者さんが怪我しますよ!」といったように詰め寄ってくるスタッフもいる。
中には、事実確認や調査していると伝えても「この事業所は隠蔽しようとしている」「人手不足で辞められるから言わないんだ」というように、今度は事業所や管理者に対して不満を抱く者もいる。
利用者の安否、ご家族への対応、スタッフおよび職場内の疑惑の目・・・このような関係者に配慮しながらも虐待の事実確認は進んでいることは、ご理解いただければ幸いである。
もちろん、虐待は許されるべきことではない。
しかし虐待案件として利用者の安否を考えているのではなく、当事者であるスタッフへの疑惑や、そのスタッフに言及しない事業所の体質に対して矛先が向けられるのは的外れだと思う。
また、いくら事業所の動きが遅いと思って、スタッフが個人で動くことはやめたほうが良い。下手な正義感は、ただ話がこじれるだけだ。
たまに感情的になって独断専行しようとするスタッフを制止することがあるが、このような人たちの心理を見ていると、利用者の安否確保ではない。
「問題がわかっているんだから、早く解決すればいいだろう」
「犯人が分かっているのだから、とっとと注意すればいいだけの話だ!」
このような言い分は分かるが、何度も言うが虐待というのは多くの場合は現場を直接見ている人がいないため、表面的な状況だけで真偽を定めたり、当事者を悪人と決めつけるのは危険極まりない。
虐待の事実確認の目的は犯人探しではない。利用者の安否確保が第一であることを忘れてはいけない。
虐待において一番話がこじれるケースがある。
それは、虐待にまったく関係ない第三者が介入してくるときである。
虐待を訴えたご本人や、それを聞いたご家族の周囲にいる方が感情的になって事業所に乗り込んできそうになることがある。
あるいは、普段は利用者本人に関わっていないご家族が自分なりの半可通な見解を述べてきたり、ご家族が友人などに相談して「賠償金をもらえるよ」といった入れ知恵を貰ったような口ぶりをすることもある。
ここでも上記のように、もはや利用者の安否確保なんてどうでもよくなって、ただの利害の主張に脱線してしまう。
これは社会問題でもたまに見られるが、何かしらのテーマがあってそれを是正することが目的だったはずなのに、デモ運動すること自体が目的になってしまっているような感じだ。
手段が目的になってしまうと話がこじれたり、意義がぼやけてしまうのは世の常である。
虐待においては多少の時間がかかっても、当事者であるスタッフを犯人とすることなく、申し出や訴えを可能性の1つとしつつ、事実確認を慎重に行うことが必要なのだ。
最後に、利用者(高齢者)の訴えについて考察してみたいと思う。
私はこれまで幾度か、利用者本人から虐待の疑いの申し出を受けたり、あるいは面会やご自宅で同居しているご家族から「親がスタッフさんに✕✕されたと聞いたのですが・・・」といった申し出を受けてきた。
そのたびに事実確認を経て思うことは、利用者本人の訴えにどこまで信憑性があるのか分からないということである。それが認知症の方であれば余計に頭を抱える。
もちろん、上記でもお伝えしたように本人やご家族の訴えは耳を傾け、そして可能性の1つとする。しかし、ご本人の訴えに耳を傾けるたびに話の内容が変わることがある。
その日は「あの男の人がやった」と言っていたのが、翌日には「昨日いた女の職員さんがやった」と話が変わることがある。
聞くたびにランダムな回答が返ってくると、検討材料に入れていいのかすら迷ってしまう。
また、利用者によってはその時の関係性によって訴えを変えるときもある。
例えば、新人職員Aさんと距離を置いていたときは「あの新人さんに✕✕をやられた」と言っていたのに、しばらくして慣れたら、今度は別な職員Bさんに対して「あの職員は、自分にひどいことをする」と言うこともある。
つまり、利用者本人が不安に思っているスタッフや、そのとき嫌だなと思ったスタッフをターゲットに虐待をほのめかすこともあるのだ。(これは私だけのケースかもしれないので、あしからず・・・)
どんなに日々の介護に全力を尽くしても、周囲から虐待のように見られてしまうことはある。
もしかしたら、虐待を理不尽に疑われた挙句に介護の仕事に疑問をもって退職した人もいるかもしれない。
そのような不幸は避けなければいけない。
そのためには、事実確認においては中立な視点が必要である。聞き取りするときは感情的にならず、1つ1つの主張を客観的に捉え、俯瞰して分析することが望まれる。
何だか言い訳がましい感じの記事になったが、ひとまず虐待の取り扱いは慎重に行うものだということを、ご理解いただけるだけで十分である。
ここまで読んでいただき、感謝。
途中で読むのをやめた方へも、感謝。
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