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介護

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介護業界・現場・運営に関する問題や疑問などの記事をまとめております。
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記事一覧

介護の実情を訴えるほど見向きもされなくなる。ならば、ビジネスとして投資してもらえるような夢を語ろう

介護の実情を訴えるほど見向きもされなくなる。ならば、ビジネスとして投資してもらえるような夢を語ろう

高齢化社会において「介護難民」「人手不足」というワードは絶えない。そのうえ、本年は訪問介護の基本報酬が引き下げられた。

以前より、介護業界の危機はニュースを見ない人でも既知のことであり、その待遇改善について多くの人たちが声を上げてきた。

しかし、その実態は変わることはない。それどころか悪化している。

このような実情を国は知らないのか? いや、そんなことはない。むしろ、介護に携わる人たちからの

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高齢者介護における「指示が通らない」という身勝手な言葉

高齢者介護における「指示が通らない」という身勝手な言葉

介護対象である高齢者に対して「指示が通らない」という言葉が使われることは珍しくない。

「指示が通らない」とは、介護者が伝えている内容に対して、それを言われた高齢者が理解できない・その通りに動けないといった状態を指している。

予めお伝えしておくが、私はこの言葉があまり好きではない。

というのも、そもそも指示とは「何かの目的を果たすために、相手に意図どおりに動いてもらう」ということである。

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介護事故の予防策の大半は「できるだけ気を付ける」しかないのが現実

介護事故の予防策の大半は「できるだけ気を付ける」しかないのが現実

介護現場では「必ず」事故が起きる。

事故までいかずとも、いわゆる”ひやりはっと”と呼ばれる、事故間際の「あぶなかった~」ということはもっと起こる。

――― なぜ、(ひやりはっとも含めて)事故は起こるのだろうか?

それは、人間が行動しているからだ。
人間は行動しているだけで事故リスクがあるのだ。

生きるということは、自分が行動すること、そして自分以外の誰かが行動することによって成立している。

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高齢化社会の問題は「介護している人たちを守る」まで至っていないこと

高齢化社会の問題は「介護している人たちを守る」まで至っていないこと

高齢化社会の問題は何か?
それは、単独では生活しきれない高齢者が増えていること――― ではない。

そのような高齢者を支援する資源が不足していることだ。
資源とは「ヒト・モノ・カネ」のことである。福祉とは言え、資源の考え方はビジネスと同じだ。

つまり、高齢化社会という問題は「ヒト・モノ・カネ」の不足である。
言い換えると、高齢者の生活を守るためには「ヒト・モノ・カネ」が必要であるということだ。

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食材廃棄を容認してまで、高齢者の食事のわがままに対応するべきか?

食材廃棄を容認してまで、高齢者の食事のわがままに対応するべきか?

高齢者施設では、一般的に朝・昼・夕の食事が提供される。
おやつが提供される施設もあるだろう。

高齢者なので飲み込みにも配慮する。一口大や細かくきざんで提供したり、トロミ剤などを用いて提供することもある。アレルギーなどの禁食の提供は控えるし、栄養制限のある方は量やカロリー、塩分にも気を付ける。

このくらいは、おそらくどこの施設もやっていることだと思う。

逆に言えば、現在の介護施設の食事提供に関

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介護現場はデジタル化よりも、個人情報を裏紙として使うことをやめるほうが先だと思う

介護現場はデジタル化よりも、個人情報を裏紙として使うことをやめるほうが先だと思う

介護業界では、人手不足をデジタル化によって補おうとする動きがある。昨今で言うところの、DXだの生産性の向上と呼ばれるものだ。

デジタル化によって人手不足が補えるのかはさておき、このような動きは業界単体ではなく、超高齢化社会に向けた課題として国も啓蒙している。

しかし、個人的には10年先も大して変わることはないと思っている。

それは介護業界がデジタルという媒体に対して苦手意識があるということも

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介護でイラっとするのは普通、聖人になんてならなくていい

介護でイラっとするのは普通、聖人になんてならなくていい

―― 現在、介護をされている方々。

―― 過去に介護をされた経験がある方々。

―― これから介護をするだろうと想定している方々。

これらは親の介護であっても、仕事としての介護でも構わない。
いずれにせよ、介護をしている方々には「お疲れ様です」と言いたい。

しかし、決して「介護をしているなんて立派ですね」とは言わない。それは介護事業をしている立場として、介護は何も立派な行為ではないと思ってい

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高齢者介護は、誰のためにあるのか?

高齢者介護は、誰のためにあるのか?

介護事業を営んでいると、ふと疑問に思うことが色々ある。
その1つに「高齢者介護の仕事は、誰のためにあるのか?」がある。

この疑問に対して「え? 高齢者のためだろう」と呆れられるかもしれない。

確かに介護サービスを受けたり、介護施設に入所するのは高齢者だ。

しかし、その費用を高齢者本人が負担していることは稀である。(手続きや管理も含めて)実質的にはご家族や介護保険が支えている。

それは高齢者

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会話だけが介護のコミュニケーションではない。細やかな「声掛け」により本当の信頼関係を得よう

会話だけが介護のコミュニケーションではない。細やかな「声掛け」により本当の信頼関係を得よう

介護の仕事は、利用者たる高齢者とコミュニケーションが必須である。

このように言うと「自分はコミュニケーションが苦手」「高齢者と何を話していいか分からない」と悩む介護者は少なくない。

確かに利用者との会話を通じたコミュニケーションは、介護において1番多いのは確かである。そのため、利用者と楽しそうにおしゃべりしている介護者は優秀であるように見られる。

――― しかし、コミュニケーションとは会話だ

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施設入所は選択肢の1つ。決して介護放棄という「逃げ」ではない

施設入所は選択肢の1つ。決して介護放棄という「逃げ」ではない

――― 仕事を簡単に辞めてはいけない

――― 学校には行かなければいけない

――― 習い事はずっと続けるもの

こんな感じの強迫観念のような風潮が世の中にはある。
しかし、これらは強制されるものではない。

――― 転職が当たり前の時代に仕事は変えてもいい。

――― 学校に行かなくても成長する術は多々ある。

――― 習い事は教養の1つであって継続の有無が本質ではない。

これらは「逃げ」と

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あおり運転も高齢者虐待も、やっている当事者が「自覚なし」という厄介さ

あおり運転も高齢者虐待も、やっている当事者が「自覚なし」という厄介さ

「あおり運転は危険行為である」ということは、誰でも知っている。自動車を運転しない子供だって理解している話だ。

それでも、あおり運転がゼロになることはない。

事故がゼロになることはないのは分かる。
それは人的要因以外の複合的な事象も絡むからだ。

しかし、あおり運転はゼロにできるはずだ。
それは完全にドライバーによってコントロールできる話だからだ。

それでも、あおり運転がゼロになることはないの

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介護の”見守り”は、どこまで徹底されるべきなのか?

介護の”見守り”は、どこまで徹底されるべきなのか?

介護の役割の1つに「見守り」というものがある。

見守りというと何だか監視的な印象を受けるかもしれないが、介護のコンセプトである自立支援の観点から言えば少し違う。

利用者(高齢者)ができるところは自分で行っていただき、できないところは手伝うためにそばで見ている、という意義がある。

とは言え、介護現場の観点から言えば「事故防止」という認識が強い。

転倒や誤嚥など日常生活で起こりえるリスクに対し

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時代に合わない介護の法律。せめて「解釈」は柔軟性をもったアップデートが必要

時代に合わない介護の法律。せめて「解釈」は柔軟性をもったアップデートが必要

介護事業は、そのほとんどを介護保険制度に依存していると言っても過言ではない。それは介護サービスを利用者が実費負担をすると、それこそ膨大な金額になってしまうからだ。だからこそ、介護保険といういわば税金でサービスを利用できるよう社会的な仕組みがある。

事業としてある意味で安定的と言えるが、制度という名の下であることから行政の管轄の仕事になる。行政は民間事業に「法律」によって統制して委託しているカタチ

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「医者の不養生」という言葉があるが

「介護者の不養生」にもご注意あれ。

健康も人生も自分が向き合うもの。