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今、東北津波被災地を歩くなら【文学フリマ東京39の話】
僕にとってそこは〈非日常〉だった。「津波被災地の今を、この目で見たいんです」
12月1日、文学フリマ東京後の打上げで、彼はそう僕に声をかけた。
単なる雑談としてその話題を出したのではないのだと直感した。
僕はかつて『イリエの情景~被災地さんぽめぐり~』という小説を書き、
そのために東北の各地を散策したことがある。
完結させたあとも度々訪ねる機会があった。
彼は『イリエ』を読んでいたし、そして僕が
書けない part.x
そう、書けないのだ。
今回の書けないはしかし深い絶望を孕まない。
5月のすっきりとした青い空のような書けなさだ。
3週間ほどが経過するので、時節にも合う「書けない」なのがまた面白い。
どうして書けないか。いつもならどうして書けないのかの理由も分からず途方に暮れることが多いけれど、不思議と今回は目星がついている。
僕は人を書けないし、変化も書けない。
だから書けないのだ。
人物が書けない
現在
広島で靴の音を鳴らす。 文学フリマ広島6前日譚前篇
広島に着いた。
2月24日、土曜日のことだ。
新幹線の改札を抜けてコンコースへ至ると、その人の多さに驚いた。
新幹線に乗り換えた小田原駅や途中の名古屋駅では海外の人たちの姿が目立った印象だったけど、
広島では国内の人たち、とりわけ地元の人が多いように思えた。
ただの認知バイアスであることは承知の上でだけど。
僕は広島という街のことが好きだ。
さあ、歩こう。
先日迎えたばかりのOn Cloud
記憶の道、間近の車窓
急遽、文学フリマ福岡には新幹線で向かうことになった。人生で何度か乗った覚えがあるけど、ここ数年は乗っていなかった。長距離の旅は、車を使っていたからだ。
小田原駅からこだまに乗っている。聞き覚えのある地名を冠する駅まで、あっという間に辿り着き、あっという間に過ぎていく。これがひかりやのぞみだったら、あっと口を開くまでもなくいつの間にか過ぎ去っていくのだと思うと、この乗り物は実に魅惑的だ。
車窓を
「生まれてきてくれてありがとう」という言葉に、違和感。
「誕生日おめでとうと言われるのは嫌なんです。歳とっておばさんになってく感じがするじゃないですか。だから誕生日が嫌いだったんですけど、『生まれてきてくれてありがとう』って言われたことがあって、それで、ちょっとだけ誕生日も悪くないかなって思ったんです」
数年前に、そんな感じのことをラジオ番組のパーソナリティが言っていた。
いつものようにドライブ中のことで、そのときは「こんなふうに思う人もいるんだな」
東日本大震災から10年。だからなんだ。
東日本大震災から10年が過ぎた。
おそらく、この日をひとつの節目と思う方は少なくないかもしれない。
僕も、この日が来るまでぼんやりとそんなことを考えていた。
でも、よくよく考えてみると、10年が経ったからといって、
だからなんだ、
という気持ちが少しずつ強くなってきた。
確かに、この10年間、僕は東北の津波被災地を中心に、地続きな変貌を見続けてきた。
(僕は神奈川県の湘南に住んでいて、ここから