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東日本大震災から10年。だからなんだ。

東日本大震災から10年が過ぎた。
おそらく、この日をひとつの節目と思う方は少なくないかもしれない。
僕も、この日が来るまでぼんやりとそんなことを考えていた。

でも、よくよく考えてみると、10年が経ったからといって、
だからなんだ、
という気持ちが少しずつ強くなってきた。

確かに、この10年間、僕は東北の津波被災地を中心に、地続きな変貌を見続けてきた。
(僕は神奈川県の湘南に住んでいて、ここから何度も被災地へ足を運んでいる)

徐々に姿を消していく被災物、
列車からBRTに、
長大で真新しい防潮堤、
嵩上げされていく土地、
生まれ変わるまちなみ……。

被災地をめぐっていくうちに、ここは「三陸」という一地方ではなくて、名取や石巻、女川、南三陸町、陸前高田、釜石、それぞれまったく別の息遣いがあって、それぞれ地域に合った「これから」を歩んでいることを知った。

めぐって抱いたあらゆる思索や感情を、
『イリエの情景~被災地さんぽめぐり~』という物語を書くことで、
深く実直に向き合った。
(参考:『イリエ』1巻 https://johgasaki.booth.pm/items/1368914

10年、実にいろいろあったし、長かったようにも、
また、とんでもないくらいあっという間に過ぎていった気さえする。

しかし、そのうえで僕は、
「だからなんなんだ」
と思わざるをえない。
10年経ったところで、ある意味では、なにも始まってすらいない、と。

当然のことながら
「10年が経って、まちはそれなりに復興しました、はい、おしまい」
であるわけもない。

これは、復興の総仕上げとして、被災者の心のケアをおこなうのが、終わってないとか、
まだ元通りになってない場所があるとか、
廃炉が済んでないとか、
そういう何年後か何十年後かに完了しそうな話ではない。
言い換えると、「見通しが立つ」とか「見通しが立たない」みたいな言葉では語れない部分で、
僕は「10年という節目」というワードにもやもやを抱くのだ。

この10年間、僕らがしてきたことは一体なんなのか。
それは、同じ規模、あるいはそれ以上の津波に備えるということである。
この一点に関していえば、10年なんてものは節目でもなんでもない。
(そもそも、10年を節目と感じるのは、十進法に親しみがある人間だけが抱く勘違いとか幻想みたいなものだと思う。地震や津波は今日という日に対してなにも思っていない)

真の意味での節目は、
次にスーパー堤防を上回る津波が押し寄せてきたときに、死傷者ゼロ人であるその日が、節目といえる。

東日本大震災は、1000年に1度の震災、とよく語られる。
だから、理論上1000年後の津波を経てようやく最初の節目を迎えるのだ。
加えて言えば、三陸地域の津波は大体30年周期にやってくる。
つまり約30回に1回の津波ともいえる。
29回の津波に慢心せず、30回目を備えて迎えるということだ。

2011年の津波が来る前で、最も新しい津波は、
1960年のチリ沖地震、1994年の三陸はるか沖地震による津波だ。
比較して小規模の津波であり、今回の地震でもこれほど大きなものになるとは思わず、避難が遅れた方もいた。
(これはリアス・アーク美術館の『東日本大震災の記録と津波の災害史図録』をはじめ、多くの証言からも伺い知れる)

経験は、良くも悪くも判断の尺度になってしまう。
10年と1日前の僕らが、
明治三陸地震の津波到達点を記す石碑を見ても、
神話世界の遺物だと思えてしまったように、
経験をもとにして想像するものの範疇を超えた事実を見ても、
1日後に起こりうる未来だとは考えられないのだ。

だとしても、
僕らと、そして1000年後の僕らは、備え続けなくてはならない。
10年切実に津波のおそろしさを思い続け、訴え続け、特集し、語り、共有したとしても、
次の想定外に生き残ることができなければ、意味がない。
経験したことないものを、なにはともあれ現実味のある、切実なものとして受け容れる土壌を、絶やすことなく次を迎えなければ、なんの意味もないのだ。
でなければ、亡くなった19749の命と、行方不明の2561人の方に申し訳が立たない、と、少なくとも僕はそう思う。

(持論として、僕は死に意味はないと思ってるし、劇的な死なんてものはフィクションの話と考えたほうがあらゆる物事の辻褄が合うと考えている。それでも、ときどき彼らのことを考え、そして僕自身がまだ生きているという、説明不能な事実について意味があるのかを自ら問うてしまうのだ)

だからこそ、震災から10年が経ったところで、
なにも始まってすらいないのだ。
まして、終わるなんてことはあり得ない。

あの日と同じ規模、あるいはそれ以上の津波に備えつづけ、
そして「次」が訪れたその日、
誰一人として犠牲者が出ることなく終えることができてようやく、
「希望を託せた」とか、「語り継ぐことができた」と胸を張って言えることだろう。

そのための「備え」は各地でなされている。
個人的に好きなのは、女川町の「復幸祭」だ。
この祭りでは、市街地から高台の神社まで全力で駆け上がり、一着の者を「津波伝承復幸男」とする催しがある。
大変活気があって面白い。

スタートラインは、1000年後である。
僕らは、その日のための準備をつづける。何代も何代もつづける。

そんなことを思った、今日という日だ。

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