NRCの判断は、米国のようにチャレンジ精神と確率論が通用する社会ならば可能ですが、日本のように、福島事故のような大きな事故が発生すれば、国民もマスコミも産業界も政治家も委縮し、回復できなくなるため、自粛の一途を辿り、米国のような対策は、不可能であろう。
❗️いまいち、ゲーム論についていけない。 モンティ・ホールの確率論を持ち出されても、おそらく私は“自分の選択”を信じ、仮に失敗しても、納得するだろう。 でも、ゲーム論者の確率高い方針が勝ることも理解できる。 要は人が何に価値を置くのか、ということであるとも思う
人々の云う、「確率と統計」は、今わかっている範囲に"こうであってほしい"というナツメグのようなスパイスが沢山かかっているようなものだ。 51%と49%どちらが偉いかとか、結果が出なければわからず、偉いとかはなく、ただそこにあるのは"希望の憶測"に基づいた、「納得感」だけでしょ。
確率と統計依存で麻雀を捉えると、結局長期戦では勝つものの、どのような確率論によりこのプレイヤーが打っているかの裏をかかれたら、ことごとくやられるだろうなあと。対人ゲームなので。 結局確率論に裏付けられた戦法の語彙力が必要で、相手によって巧みに変え、非常に臨機応変にする必要がある。
「目線」を上げて考えるより 「次元」を上げて考えるほうが よりよい未来を見通せる