太宰主義=ダザイズム? 彼は人間観察や社会考察と点では優れてます。 他人の潜在意識や深層心理にまで、潜り込めるひと。水中ダイバー。 ほとんど太宰治の文章は実体験が原動力なんですよね…。自白近くいし自滅的。読み手にこれはぼくの事じゃかいかと錯覚やさとらせる才能もある。
わたしは、「note」に何を書こうかなではなく「本能的に書いて」います。書くのがストレスの発散になり楽しいからです。読んでくださる方がいましたら、ぜひ、ユーモアエッセイを読んで欲しいです。そんなことが言える立場ではないことは知っていますが、書き手のエゴイズムですね!
たとえば私は書くことを生業にしていません。 しかしnoteはどんな職業の人でも書きます。 この書くことによって生まれる連帯感はなんでしょうか。 そして以外とnoteを知らない人が私の周りは多いです。 物事を大きく見た時、生業関係なく書き手読み手の心は自然と繋がるのです。
noteを続けていく上で大事なのは、どれだけ相手のことを想えるか、です。好き嫌いを考えるというより、読むときに不快にさせないか、独りよがりになっていないか、です。技術は読み手が鍛えてくれる。書いている時や、読み返した時にふわふわしたものは、基本的にダメ。