乗ったつもりが引き摺られ🏄️
「noteの書き方」等と言うところに参戦すると、大したこと無いクセに偉そうな💧って自分で突っ込みたくなるけれど😂
今回は、読み手側としての感じることを。
昔から、書くのは好き。読むのも好き。本が大好き。
紙での本が好きだけど、それでも、ネットで簡単に、色んな人の考え方や気持ちや創作を読めるのもまた便利。調べたい時、勉強したい時、楽しみたい時に手軽に役に立つ✨
ネサフという言葉は、とっくの昔に死語だと言う説と、今でも通じるよ~って説を見掛けたが、どちらなんだろう?🤔
「ネサフ?何それ?ブラウジングで良いじゃん」ってね。
いやいや、着こなし方のブラウジングじゃなくてね、【browsing】の方ね(分かっとるわ💧)
どっちでも良いのだけど💦
1つの記事を読んでいると、次々と気になったり興味を惹かれて、リンクからリンクへと飛んで行き、気付けば何を最初に見てたっけ?💧と果てしなく戻らないといけなくなったりすることもある。
先に読んでいたページを読んでしまってから、リンク先へ行けば良いのに、脱線することの方が、私は多い😅
書き手としては、自分の記事の意味を広げ足したり、または自分の書いた別記事を読んで貰おうという意図だから、まんまとはまっている良い読み手だろうなぁ😁💦
だけど脱線するのも、楽しみの1つである。
読んでいて気になってしまうのは、そのリンクの使い方。ザッと記事を読んでしまいたい=興味があることでも、それを多用されると一気に「あ、もうどうでも良いや💧⤵️」と閉じてしまう。
noteの中でお見掛けしたその方は、自分の過去や今などの話を赤裸々に語る記事をあげる使い方をされていて。人気がある様で、更にお金も稼げてる報告noteもあげてらっしゃった。凄いですね✨
読んでみたら、その方の生き方に同感出来るかどうか?は別として、文章の作り方は上手だなぁって印象。読みやすく、内容自体が手軽に読める。
1つを除いて。
それがリンクの使い方と数、と言うか。
「これまでの話に関してはこちらを」とかはよく見掛けるので気にしない。
連載モノなら冒頭に必ず付いてそうなリンクだし、探さなくて良いから楽に読みに行けるのが良い点。
私にとって読み辛いと感じて来るのは、その多用で。「それについてはコレ」「詳しくはこっち」「これも読んでね」みたいに、1つの記事にどんどんと追加されるリンク。
先に行かしてや😒💧ねぇ💧
サッと読みたいのに読めない、躓かせる。
敢えてネサフという言葉で表現するならば、スイスイと乗っていたい、調子良く波に乗りたい。リンクの記事でさえ上手く読んで乗りこなし、返ってきたいのに。
それでも続きが気になったり把握したい時は、仕方が無いからリンクから行って読むのだけど。気分はもうサーフィン🏄️どころじゃ無い💧
ジェットスキーで引き摺られてる様な感覚になるのだ。その内に溺れそうな息苦しさを感じ始めたら、「もう良いや😰」と手放す。
そんな感じ。
サーフィンもジェットスキーも、実際はどっちもやったこと無いんだけど、そんな感じ😄💦
しかも辛いのは“こっちを読んでないと意味が理解出来ませんよ”的なリンク。それも冒頭に言っといて欲しい。途中まで読ませといてそれは無いよ~ってなる。行きたい場所の目前で立ち入り禁止🚧をくらった気にもなる。
同タイトルでナンバーを付けておく等があれば、初めての読み手は助かる。最初にたまたま見た記事が④だろうが⑤だろうが、気に入れば①から読む。
そんな殺生な~💧なリンクを一記事に(しかもあまり長く無いのに)多用されるのが苦手なのだ😵💦💦
結局、その方のnoteも、何記事かは読んだが止めてしまった。消化不良な気持ちにもなるけど、読ませたいなら乗らせるって大事だと思った。
書くのに気分が乗らないと書けないってのも同じで、読む方も乗らないと読み進めない感がある。
初めての読者への配慮のつもりが、逆にダメージを与えて追い返してる可能性も0では無いことを知って欲しい。
勿論、記事内のリンク使用に関しての苦情では無く💧上手な使いこなしをされてる方はたくさん居るので、これはたまに見掛ける方のお話。特に、折角記事は上手いのになぁ~って感じる方のは勿体無い。
読み手側として感じるアレコレは、思い起こすと意外と色々と出てくる。
今回はリンク多用の件のみで😅