なかなかパスポートにスタンプが付かなくなった私がよく飛んだ2017年秋と2018年夏。18年7月末のボストン→NY、盆に韓国の流れがエキサイティングでした。 17年のインドはまた次回に夏のNYのインド街で涼しく食べたインド。 Curry Hill (カレーヒル)は再訪価値ある街。
手は目でもあること、そして、手食は口に入れる前の、料理に触れた(混ぜるなど)段階から咀嚼が始まっていることに最近気がついた。口に入れる前に、おかずとご飯をしっかり均等に混ぜて、柔らかくしてから口に入れる。30回噛めと教育されるわけだが、手食ではそれが手で既に行われているんだな。
手で食べる頻度が増えてから、何か食べ物のことを想起する時に、まず触覚が最前面に浮かぶようになった。手食圏の人もそうなんだろうか?そもそも、箸をメインに使っていたときはどうだっただろうか?まず視覚情報が思い出されて…前面に来るのは味覚や風味など口に入れた後のこと…かな?
先日、友人が8,4,1歳の子供を連れてスタジオに遊びに来てくれ、子供達に「今日は手で食べようか!」というと上の二人が揃って「えーやだー、手汚れるじゃん。手にばい菌付いてるじゃん」と言い、私は衝撃だった。子供にとって手で食べるは楽しい遊びになると思っていたからだ。勉強になる。
神経美学の先生と、各国にあるらしい「美しい手食」を明らかにしようと話したのだが、そもそも「手食が美」であるし、人の体を使って食べることで生じる個別性が素敵であり、美しい手食を科学で明らかにすることは、「美ではない手食」を生み出してしまうように思えて躊躇してきた。よく考えよう。