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手食って、奥深い。
大好きなお店の料理を、初めて手で食べた。
今日は『手食記念日』
なんちゃって。
手で食べると何が違うのか。
「手で食べると全然違うよ」と
パートナーから聞いてはいたし
違うんだろうなぁ、とは思っていた。
以前、違う場所で一度だけ試した時には
「ふぅん、違うと言えば違うような」みたいな感じで。
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その時はなんか「うまく食べれてない」感が強くて
彼に「どうやったらうまく食べられるのか、コツを知りたい」「スマートに食べたい」と話していたら
「考えすぎ」を指摘された。
目の前の食べ物を大切に、ゆっくり食べる。
それだけで良いのだと。
素敵。
確かになぁ。
私はいつも、難しく考えすぎる。
シンプルが良いと言いながら、複雑に考えようとする癖がある。
「どう見られるか」を、考える癖がまだあるのだ。(文化の癖かもしれない)
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とはいえ
手食の国で育った彼の食べ方を観察したかったのは事実。
前回は、手にこびりつくご飯粒とか
指を食べてる感じ...がしっくり来なくて。
私ってやっぱり不器用。と自己否定したり。
「いつもの」を違う角度で
今日は彼の食べる姿(これが美しいから、スマートに私も食べたい!と思ったんだ)に沢山ヒントを得た。
そして初めて手で食べた、大好きなミールス。
食べてる間は探り探り。
お、思ったよりもうまく食べられる。
そうか、考えすぎだったのか。
ちゃんと混ぜられてるのかな?
マナー的にはどこまでOKなのか?
なるほど、最低限守ればあとはなんでも良いんだな。
美味しい。。。!
そんな感じで進んでいく。
美味しいミールスを、手食で後悔しないかとか、白い服を汚さないかとか、いろんな懸念はあったのだけれど
すんなりクリアー!
最後まで手で食べられたことにホッ。
ホットチャイまでいただき、ご店主との対話も楽しんで(わざわざ話に来てくれたのが嬉しかった〜。)店を後にしました。
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余韻が教えてくれたこと
実感が出たのは、帰り道からだった。
「美味しかった」の余韻というか
記憶の残り方?が、いつもと少し違う。
手指という、五感が一つ追加されたから?
いつも美味しいの余韻はたっぷりあるミールスなのだけれど、今日は一段と。
ああ、美味しかったなぁぁ。。。
また手で食べたいな。
忘れられない。
そんな感じです。
一緒に食べた人や
景色や、その時の会話も
もちろんスパイスなのだけれど
「手食」は記憶への残り方が違う、
食べ物に対する新しい敬意の示し方なのかもしれない。
奥が深い!
新しい世界に飛び込みつつ、更新したい自分を確認した土曜日の午後。