今日は予定通り図書館へ。積読していたこの本を集中して読んだらとても良い。心にじわじわくる。大好きなカフェオレとともに。 昨日は面接した仕事の落選のお知らせがきたから落ち込んでいたけど、少しだけ元気を取り戻しつつある。少しだけ。
自分が喜ぶ服を買いたいという、健全な物欲が戻ってきた。 今年の初めは婦人服売り場に行っても、心が全く動かなくて苦痛でしかなかった。 心の回復が嬉しい。
歳をとるごとに大切になるもの。 それは自分の心のうちを理解すること。 生きるうえでの指針が必要になるから。 自分が何をしたいか。 どんな人生を生きていきたいか。 どのような人間になりたいか。 自分に問いかける必要がある。 少しずつでいいから。
8月もそろそろ終わる。 何もできない日が多かったかもしれないなぁ。 なぜと聞かれても分からないけれど。 きっと自分で思うよりも身体が疲れていて。 心も疲れていたんだと思う。 いつもの休息じゃ足りないくらいに。 行動することも休むことも上手くなりたいな。
体調が回復したからといって油断できない。 心が回復してないこともある。 ジムを再開しようと思ったけど行けなかった。 外に出るのが怖くて。 一度出た空間に戻ることが怖くて。 心が悲鳴をあげていることに気づいた。 気づけて良かったと思ってることにホッとしてる。
連続して出会った言葉がきっかけ あぁこれは 私のトラウマなんだ という気づき まわりの人は 話せているよと 言ってくれるのに 話せない と思う私 大切な恐れだから ゆっくり優しく取り組む1年 変わる自分と変わらない自分 その両方を大切にしながら 今年もよろしくお願いします
私は都合よく 忘れているのかもしれない よぎった不安 揺らぎ でも向き合って学んだ 自分を信じる心 今自分が自分の心を信じなくて いつ信じるのだろう 固執せず ただ過去も大事に想う 揺らぐ時は無理せず自愛 感謝と共に 誰も心の中心は 辛さ悲しさ寂しさの奥にある 愛と優しさ
今まで体験した事を ずっと 自分が握りしめていた 傷ついて 心深くにしまった 辛さ思い込み 苦しいのに その状況にずっと居た 無意識に 執着し依存してた もう傷つかないで 生きたくて 自分を防衛し過ぎてた ありがとう 自分 本音を隠してしまう強がりは 少しずつやめていこうね
書ける日もあれば、書けない日もある。 今日はなぜか何もできない日だった。 仕方ない。 人間、こういう日もあるよね。 思いっきり伸びをして。 身体をほぐしてあげよう。 深呼吸もして。 心もほぐしてあげようね。
幼少期に体験した 父親の極端過ぎた制限は 当時とその後長い間 苦しく辛いだけの制限でした でもそれが 長期視点では 私の願いを叶えるための制限でもあった とも捉えられた まだ よくわかってはいない気がします でも 初めてそう思った 思った自分に驚いた 1つの捉え方として記録
まずは自分に優しく そして自分の心が もしも前よりも軽く楽になったなら 家族 友人 恋人 仲間 子供達 隣りに心を傷めている人がいたら 自分にしたのと同じように 寄り添ってあげられるかも 声をかけるだけで その人の心を支えるかもしれない ほんの少し 出来る範囲 相手にも優しく
体調不良からの学び 自分の思考と体現の癖 それから アレルギー時の反応や その後飲食する事が怖くなり 自然に食欲が抑制された事 熱中症とコロナの時も 身体が治ろう治ろうとしていた事 無意識な反応 自分の身を守ろうとする 本能 人間それぞれに備わってる 心の動きも 共通してる
多忙な時 視野は狭くなり 心を守るため 鈍感になる 気づかなかったかもしれない 傷つく事が怖かったのかもしれない 傍観者効果が生じたかもしれない でも幼い私は 何より1番大切にしてほしかった 本音に気づいて寄り添った もう許してる…と 母を許せてる自分に気づいた 嬉しかった
実母と向き合い対話のイメージ 私にとって大事な意味があった事 幼い頃私なりに母を見て 母の大変さに共感していたから 遠慮し我慢し隠した本音本心 父から守ってほしかった 私妹を助けてほしかった 母から聞こえた ごめんねと このやり取りをして泣けた事 大きかった 心緩め息が吐けた