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いつも心に寄り添って①~愛着の課題から心の回復~




クリニックの待合室はピアノのクラシック音楽が流れていて、待っている間に、緊張が少しずつ和らぎました。
数日前に、大きな向き合いを終えて、この日は気持ちも落ち着いていました。自分の事が冷静に話せそうで、この日初診で、ちょうどタイミングがよかったと思いました。


心理士さんと詳細を話したその後に、専門医とも話して診察を受けました。
先生から、「大変な思いをして来られましたね。
でも、あなた、ずいぶん心が回復してる。」と、
その言葉を聞いた時、涙が溢れました。
涙を拭きながら、... ...よかった... ...です... ...と、言っていました。
取り組んで来てよかったと、思いました。
幼少期の頃からの生育環境、またそれ以降の話し、ここ数年の事、その時々の気持ち等を聴いて頂けました。



待合室に戻った時、私の話しを聴いてくださった事、何も否定する事なく聴いてくださった事。
先生、心理士さんに、感謝の気持ちが湧き上がりました。


ずっと、受診出来なかった事を思い出しました。
怖かったからでした。
自分がなくなるような、保てなくなるような不安。
それから、本音本心での自己価値観(自尊感情)が低かった為に、こんな自分の事を誰かに話すなんてという引け目、自己卑下、劣等感。
周囲からの目、偏見。気にしていたと思いました。
誤解される事、否定される事、自分がそう受け取ってしまう事、ほか、色々な事を恐れていた気がしました。私のたくさんの思い込みもあったと思います。


まずは自分で自分に優しくする事から始めて、日々の日常の中で、自分と向き合い続け、自己受容が出来ていき、どんな自分でもその自分がいい、誰かにどんな風に見られても、それは自己価値に全然関係ないと思えた事。
そして人にどう見られ、どう思われるかよりも、自分を大切にしようと思って、自分の心をしっかり治そうと思えた事が受診へと繋がりました。
病院は、怖い場所ではなく、優しい場所でした。
そして、今回の受診は、自分1人きりで歩むより、専門の方を信じて頼ろうと思えたという事。
傷つく事を恐れて、人を信じる事が出来なかった私が、人を信じ頼る事を選べて、そう出来たという事は大きな事で、安堵と喜びを感じました。受診する事が叶い、よかったと感じました。


診察時、両親妹の事を話した後、先生から、「愛着の問題があるかもしれない」と伝えられました。
愛着の問題...心の中でつぶやき、静かに受け止めました。先生の言葉が心に残りました。


その3日後、通常通りの出勤時の事でした。
車を停めてから、事務所までの徒歩での道のり、時間にはゆとりがありました。
晴れて暑く、吹く風が心地よく、道路脇の背の高い緑草を揺らしていました。
歩きながら、雲が浮かぶ空を見上げて、ふと思いました。
「 先日... ...先生、愛着の問題があるかもと...仰ってたなぁ... ...。」
愛着の問題。私の課題。頭の中に、ぼんやりと思い描き考えました。
「他の人とか、今の自分の家族には、そんなに強く思わないのにな...。私が強い気持ちを抱くのは、実家の家族にだけだな... ...。...」
そう考えて、 ... はっ ... としました。
内心で、 わっ! と思い、足元が揺らぎ、一瞬、立ち止まりました。


私の中にあった、"助けたい" という気持ち。
本来、誰もに、平等に抱くはずのその感情。
それが、私は、"実家の家族にだけ" 、「強過ぎる」傾向でした。
先日の大きな向き合いが、その事を証明していました。
先日気づいて手放した、コントロール欲が、愛着の問題なのかもしれないと思いました。
この事が、瞬時に頭の中を駆け巡り、


「あぁ... ...私、偏っていた... ... 。」
と、つぶやきました。


私の中で、無意識に、平等じゃなかった愛情。
実の両親妹だけへの、強過ぎた、愛着。
私の偏りだったと気づいて、腑に落ちた瞬間でした。


腑に落ちた瞬間、私の中の、ニュートラル地点がまた少し 、グッ と移動しました。
毎回ですが、何かに気づき、腑に落ちるたび、自分の中のニュートラル地点が、少し、移動します。
自分(の心)が、自然に、中立・中間に戻り、保つ動きをしているんだなと感じます。
自分が偏っていた事に気づいた事で、
内心に静かな衝撃を感じ、ショックと動揺を感じつつ、納得した時、ちょうど職場に着いて、気持ちを切り替えました。



その後、何日か経ってからの休日の昼。
自宅で、ゆっくりしている時。
... ... 助けたかったね... ... と。
気持ちの落ち込みも変動もなく、平静に、ポツリと。
本当に諦めがついて、私には愛着の偏りがあった事を受け入れられて、精神的な偏りを調整出来たから発せられたひと言だと感じました。



重なりあい、絡みあう様々な要因。(環境状況や、私や家族個々の性格特性、受け取り方など)
代々受け継がれて来た、家系のカルマ的な要因(機能不全家族など)もあった中、私は、両親妹の事が、大好きだったと思います。
大好きだったけど、その想いが(理想のようには)叶わず、気持ちも、その事も、我慢して、素直に言葉にして相手に伝える事が出来なかったから、強過ぎる愛着、執着となってしまった。
両極端だった私は、それなら関係ないと、叶わないなら関係ないと、相手を否定して、無関心だと思い込む事で、自分を保つしかなかった。
否定も、無関心も、大好きの裏返しでした。
私の事を、気持ちを、理解してくれない、
理解しようとしてくれないと思い込み、やり場のない怒りは、大きな寂しさ・悲しみの代わりの表現でした。


私の想いが強かった分、両親への大きな反発になり、家族への想いが自分流で強過ぎた為、より辛くて苦しいから、別れて離れるしかなかった。
その後も、お互い、素直な気持ちに向き合わず、
気づく事なく、話し合う事もなく、
拗れた拒否や拒絶、別離に繋がってしまったと思います。
叶わない想いが、私バイアスを通過して、私からの表現は、無意識、無自覚の、素直ではない、あまのじゃくな言動に繋がっていたと思います。
偏っていました。




お読み頂き、ありがとうございました。
②に続きます。







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