木漏れ日 の 中 に 居るよ
「歓待すること」「居ることに感謝すること」私がつくりたい・つくろうとしている「ナスビの学校」は、その根幹に「ケアの思想」がある。
「探究したい子ども」と「探究を必要としている子ども」は同じようで違う。「探究を必要としている子ども」は、ケアされる居場所を求めていることがある。探究することとケアされること。この関係性を明らかにしたい。
人は他人のことを思ったほど見ていないよという言葉は、場合によっては慰めにならないよね。スーパーではそもそも店員のことが見えていない「世人」がいる。そもそも居ないってわけね。 「居ないことにしている」のか。でも「見る」を放棄しているのはいただけないわ。 まずは見よう。