本を読むこと。歌を歌うこと。音楽を聴くこと。テレビを見ること。 そうした日常の中で感じる「つながり」。 SNSが発達して、顔も知らない誰かと簡単につながれる現代社会。 想いや夢を多くの人に共感してもらいやすい時代。 と同時に、 ネット上での一言が、簡単に誰かの心を傷付けてしまう時代。 そんな社会だからこそ、人との「つながり」を大切にしたい。 一度でも顔を合わせ、言葉を交わした人とのつながり。 夢や挑戦を応援してくれる方々。 辛いときも楽しいときも共に過ごした
養老孟司さんのコラムより。 軽く思われているようなことでも、実は重要なものの1つが「気分」。 真剣さと深刻さを混同する人が多い”小回りのきかない社会”に求められる「いい加減さ」。 現代社会で「ムダ」とされていることは、本当に意味のないことなのか。それを排除することで、効率は本当に高まるのか。 むしろ、違う気がしています。 ムダなものとして切り捨てたものが、実はとても意味のあることだったと、あとから後悔することもあります。 吹けば飛ぶような軽い存在と思われていても、実
自分でやりたいと選んだはずなのに、何もかも投げ出したくなる自分がいる。 逃げても楽にならないのは分かっているけれど。 後回しにして、辛くなるのは結局自分自身。 やればいいだけ。なのに向き合えずにいる。 大して疲れてないくせに、すぐに疲れたと腰を下ろしてしまう重たい心。 いつも中途半端で、色んな人に迷惑をかけてばかりいる。最後までやり抜いた経験が、いったいどれくらいあるだろうか。 だらだらと続けるのは簡単でも、その中で何かを形にするのは難しい。 それでも、やめるこ
『ナマケモノ教授のムダのてつがく』(著:辻󠄀信一)の本の中で、「ハチドリのひとしずく」という話があります。 森が火事になったとき、小さなハチドリだけが、小さなくちばしで何度も水を運びます。たとえ一滴ずつでも、自分のできることをやり続けるという姿勢を描いたエピソードです。 どうせやってもムダ、と思われたとしても、自分の信じる道をひたすら進み続けることは、決してムダではない。私も自分の日々の取り組みがムダではないのだと励まされました。 ただ、一つ条件があると思っていて、その
「どうせやってもムダ」 「ムダに時間を使ってしまった」 さて、「ムダ」とは一体何だろう。 ムダを省く、とはどういうことなのか。不用なものとして省かれたものが、実はとても大切なものだったりする。 時間を短縮したはずが、省いたことによって余計に時間や労力を費やすこともある。 一見ムダなものほど、実はとても大切な役割を果たしているものかもしれない。 本当にムダなのか、どんな意味があるのか、一度立ち止まって考えてみたい。
"遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけむ 遊ぶ子どもの声聞けば 我が身さへこそ揺(ゆる)がるれ" 平安時代末期に後白河法皇が編纂したという「梁塵秘抄」の一節。 以前、NHK大河ドラマ『平清盛』でも歌われていて、とても印象的な歌でした。 今読んでいる『ナマケモノ教授のムダのてつがく』の中でも引用されていて、久々に曲が蘇りました。 "人は遊びをしようと生まれてきた 戯れにただ興じようと生まれてきた 遊ぶ子どもの声を聞くと、大人の自分も声に合わせてつい体を揺す
あれしなきゃ、これやらなきゃ、と言っているうちに、台風が通り過ぎるように終わる1日。 結局あれができなかった…と落ち込んで1日が終わるのは虚しい。 でも、本当は何かをしなきゃと思う必要はないと思う。無理に話そうとか、行動しようとか、思う必要はない。そこに居るだけで、空気が和んだり、誰かの支えになることもある。 そこに居る。それだけで価値になる。 明日も、よい1日を!
疲れた時は、深呼吸。それだけでいい。 不思議なもので、息を吸って吐いただけなのに、霧が晴れたように心が軽くなる。 何かを「やらなきゃ」と思うほど前に進めなくなる。心がモヤモヤした状態だと、正常な判断もできなくなっていく。上手くいかなくて、ミスが増えれば仕事の量も増える。体も頭も疲れていく。 やりたいことが「やらないといけない」に変わるのが一番辛い。好きなことをしているはずなのに、やればやるほどストレスになってしまうこともある。「こうしなきゃ」という思い込みを手放せば、結
先日の浅草田んぼプロジェクトより。 自分たちで育てたバケツ稲(植えるところは参加できませんでしたが…)を先日収穫し、今回は脱穀🌾 穂から粒をはずして、すり鉢で殻をむき、殻を飛ばして米粒を取り出す。根気のいる作業。子どもたちは飽きて遊び回る横で、黙々と進める大人たち。 参加者の方もおっしゃっていましたが、確かに玄米をすり潰す作業は瞑想にも似ていて、自分と向き合う時間や隣の人との対話の時間にもなりました。 この半年での、稲はもちろん、参加してくれた地域の子どもたちの成長も
NHK大河ドラマを見ていて度々そう思う。 史実として語られることは、文書や記録に残っていたり、その土地の人々に語り継がれて来たもの。 どこかのタイミングで話が入れ替わっていたり、当時の権力者たちが話を作り変えている、あるいは不都合な事実を削除しているかもしれない。 何を信じるかは人それぞれ。本当のことなんて、タイムマシーンでもなければ確認しようがない。 だから歴史は面白いと思う。 話の間に想像の余白がある。時代を生きた人々の気持ちや状況に想いを馳せることができる。
9月末から本業の会計締め作業と土日の活動も含めて走り続けて、昨日ノ土曜日も朝から自動車免許の教習に三味線にと駆け回り、今日ようやく落ち着きました。 今日の外出は夕方からの予定だけでしたが、家にいるのが嫌いな父親譲りの性格なのか、午前中は買い物へ。自転車で片道20分ほどの近場ですが、家に帰ると結構ぐったり。。 結局2時間くらい昼寝をしてしまい、夕方からの予定に遅刻する始末。 やっぱり休みは大切ですね。 毎日6時間以上は寝るようにしていますが、 質の良い眠りができているかと
前田裕二さんの著書『メモの魔力』の中で、「ストーリーを語る際に重要な3つのポイント」が書かれています。 1.エピソードを可能な限り「具体的に」話す 2.「間」を恐れずに使いこなす 3.一方向ではなく双方向に話す 特に「間」を使いこなすというのは思いのほか難しいです。 私は「間」があると「早く次の言葉を見つけなければ」と焦ってしまい、時には余計な言葉や間違った伝わり方をしてしまうことも多々あります。 焦らず、落ち着いて、その場その場で適切な言葉を選ぶためにも、「間」
色々と忙しさを理由に、大切なものを疎かにしてしまっていたような気がして反省しました。 「やらなきゃいけない」という無駄な思い込みや、良かれと思って行動したら空回りしたり、慌てて物を取り落としたり。。 そんな失敗が重なると、「今疲れてるな」ともう一人の自分にため息をつかれる。 ひと息ついて、落ち着いて行動するほうが、結果的に早く済むことのほうが多いですね。 焦らずに、ゆっくりと、そして着実に。 急ぎすぎて大切なものを見失うより、そのほうがずっと上手くいく気がします。
書店で見つけた一冊の名言集より。 「現代は生きづらい時代」と言われるけれど、人間が生きづらくなかった時代などあっただろうか」(禅僧 南直哉) 「飛ぶためには抵抗がなければならない」(マヤ・リン アメリカの芸術家) 「障害を避ければストレスは減るが、自分が生まれ変わるチャンスを逃す」(ノウハウバンク代表 三科公孝) 上手くいかなくて辛いこともある。 諦めそうになることもある。 それでも、そんな「生きづらさ」こそ成功のカギなのかもしれない。 明日も負けずに乗り切りま
「描くのをやめる。散歩したり、景色を見たり、昼寝したり、何もしない。そのうちに急に描きたくなるんだよ」 ジブリ作品の中で一番好きかもしれない名言。 今まで何でもなくできていたことが急に出来なくなり、自信がなくなったとき、ジタバタと藻掻いてみて、それでもダメなら一度やめてみる。あえて距離を置いて、違うことをしてみたり、何も考えずにきれいな景色を眺めたりする。そのうちに不思議と「もう一度やりたい」と思う瞬間がある。 行き詰ったときは、無理に進めようとせずに、一度立ち止まって
合宿で香川と徳島へ。 初めての四国。飛行機に乗るのも高校の修学旅行以来で、初めて自分で飛行機を予約して行きました。羽田空港には、売店に蕎麦屋にカフェにアパレル店まであって、飛行機を待つ間も飽きませんね😳 徳島では、地域コミュニティを創る活動をしているkumuプロジェクトの方々からお話を伺い、地域を案内していただきました。 始めは地域の中心となる神社の掃除をきっかけに、活動を続ける中で、徐々に地域の人たちからの信頼や理解を積み重ね、次第に「これが必要でしょ?」と自発的に協