Mojaiik/みんなで子育て
生活、気づき、思索、モノローグ、ダイアローグ、物語、批評、哲学、徒然なるままのみならず、少し突っ込んで考えます。
夫と娘2人。 慌ただしくも楽しい日々のことを母ちゃんが書きます。
育児日記2年目突入。
2 『正欲』の脱構築(1)「すべての欲動は倒錯という結果である」という人間観から、性の画一性と多様性を考える ―フロイトの精神分析より― 先ほど、男と女という分け方に異議を捉えた。それは性的対象にも対応している。LGBTQの性的対象は少なくとも人間である。ところが、登場人物の桐生夏月は、だれにも理解されない異常性癖の持ち主である。それは多くの人間に身に覚えのあることである。胸や尻、足などに興奮することは私にも覚えがある。SMやくすぐりに対する興奮もその一つだ。登場人物たち
2 『正欲』の脱構築(2) 大きなゴールというマジョリティの暴力性 ―フーコーの「狂気」より― 目に入ってくる情報は、すべてそのゴールにたどり着くための足場だと、主人公の佐々木佳道は言う。そしてその情報は、マジョリティのためのものだ。佳道は、異常性癖者であり、性的マイノリティである。多様性として定義されたものにも含まれない、世界の外側を生きている。自分の存在が肯定されていない佳道にとって、生きることは、必ずしも前提となっていない。 フーコーは、このような個人にも生きるよう
1 多様性の外側から見た画一性(1)多様性を考える 多様なるものを語るとき、例えば、目に見えるものを考えてみる。目の前には花がある、人がいる、建物がある、空がある、など。さらに細かく見ていくと、花には花弁があり、おしべがあり、めしべがある。花弁はいくつかに分けることができる。その花弁一つ一つは細かい細胞からできている。細胞は…、というように、無限に差異が生まれる。よって、無限に多様なるものが存在することになる。このように、目に見える世界を分けることで初めて多様性が生まれる。
朝井リョウ『正欲』の脱構築と再構築を通してはじめに(梗概) 『正欲』は、多様性の外側にいる人々の物語だ。性的対象の多様性の外側にいる人々の性的対象は人間ではなくものや事柄である。そのような人々は、多様性の範囲すら逸脱したものとして扱われている。実際、私たちの多くは、現代においてなお、人間性は一定の範囲内に収まっていると考える。その際、その外側のものは、人間として扱わず、排除する。 一方、世界の外側から見た世界は、果たして多様性が認められると言えるだろうか。むしろ、異性
居ることとは何か 考えてみると、今年は居場所についてずっと考えた一年だった。そのきっかけとなったのは、「居るのはつらいよ ケアとセラピーの覚書」(東畑開人著)という本だ。これまで、ぼくは、居場所とは何か、ということについて全く考えてこなかったわけではない。例えば、学校で子どもと楽しく過ごした教室や同僚とコーヒーを飲みおしゃべりする職員室、ゆっくり過ごすことができる我が家など、居心地のいい場所=居場所だと考えてきた。その考えは今も基本的には変わっていない。一方で、居場所はいつ
Aさんは、庭のみかんの木にアゲハの終齢幼虫が4匹いるのを見て、心が動いたという。今は寝たきりのお母様が、みかんの木を大切にしていて、小さな幼虫を見つけるたびに潰していたため、育った幼虫を見ることがなかったらしい。 また Bさんは、自分が育った頃は人の土地に入ったり、ビワの実を勝手に食べたりしていたと言う。今はそんなことをしてはダメな雰囲気があると。 長久手文化の家で行われた哲学対話に行ってきた。 自分の気づきをメモしておく。 見える世界が違う哲学対話の前の基調講演は、東
父ちゃんがパート主夫、母ちゃんが毎日働く我が家の、ある日のこと。 褒められないと嫌! 長女、バレエサークルに通っている。物おじせずなんでもそつなくこなす彼女はよく褒めていただく。 でも最近、彼女が入っていないチームが誉められることが多くなってきた。それが不満の様子。「あのチームはあんまり揃ってないし笑顔がない。」なんて言うので、「誰かを褒めてもあなたの価値が下がる訳じゃない。良いと思ったら素直に褒めていいんだよ。」と言ったら泣き出してしまった。 「だってだんだん私のチー
結婚して数年の夫婦、すっかり家族になったけれど、いまだにときめくことがある。ごくたまに、思いがけないことで。 ギャツビーの汗拭きシート ピーチ夫がドラッグストアにいくと言うので、「ギャツビーの汗拭きシート ピーチ」を買ってきてと頼んだ。もちろんメモを渡した。 汗っかきの私は、がつんと涼しくなるギャツビーの汗拭きシートを使う。その中でも男性っぽすぎないピーチの香りがお気に入り。 でも夫に頼む以上「ギャツビーの汗拭きシート ピーチ」が届くことは期待はしない。理由は3つ。
22日 居場所で遊ぶ 23日 長女バスで藤が丘ー長久手市役所 24日 長女バスで行く 25日 長女バスで行く 26日 次女運動教室で、ひたすら跳ぶ 27日 きららの里、バレエ見る、苺、花火。 28日 フリーデイ。
15日 居場所でたくさん遊ぶ。おいしいサンドウィッチ 16日 リニモテラスまでリニモでくる長女 17日 休み明けコロポックルぐずる 18日 引き続きぐずる 19日 花火大会。思ったよりなくならない 20日 チャレンジの報告をきく 21日 バレエ
8日 だらだら過ごす。水遊びをする。 9日 わたしは隔離期間があける。久々のお仕事。すぐ疲れる。 10日 寝室大掃除。窓拭き。長女とキャッチボールにはまる。 11日 次女とばあばの家に行くもばあばおらず。 12日 クリーニング、買い物、ゴミ捨て、CDの処分。 13日 久々に次女とお出かけ。でも噴水はやってない。イオンとリニモテラスとアイスとリニモ。 14日 全員隔離期間明け。バレエ、リニモテラスこども縁日。商売をしている人の気持ちが少しわかった長女。
8月1日 濃厚接触待機の明けた家族。 長女はキャンプに、妻は仕事に出掛けていった。日中次女は母に頼む。 夜、次女は父ちゃんにもねえねにも会えず泣きながら寝た。 8月2日 今日も次女は母に預けて妻は仕事。 誰もいない家は静かで少し寂しい。8月3日 長女がキャンプから無事戻ってきた。 しかし夜発熱、妻もひどい咳をしはじめた。 8月4日 長女も妻も陽性が判明。 私の自宅療養は終わったのに、また1週間以上引きこもりである。 長女はまる1日40度近い熱が下がらない。 妻は咳だけで元気そ
とうとうギブアップしてしまった日記。先月末からコロナでダウンしてしまった。ということで、これからはまったり一週間ごと。 25日 不覚にもコロナ発症。隔離。昼まで動けず。ひどい発熱と頭痛。何とか鎮痛剤が効いてきて多少マシになるも辛い。この生活いつまで続くのかと気が遠くなる。 26日 加納朋子「カーテンコール!」読み初め。いろいろな本をパラパラと読む。壁の向こうの妻とリモートで会話。すこし生気を取り戻す。 27日 朝井リョウ「正欲」。世界の外側の世界について考えてみる
次女と妻と三人でお出かけ。リニモでリニモテラスからのイオン。
と言っても、わたし一人だけの予定は子ども連れの時よりはるかに楽だ。この日は午前は次女をプールに連れていくも、午後はみんちゃれ(またいつか話したい)夕方は飲み会。天国だ。
いつも遊んでくれる女の子は昨日幼稚園の終業式。なので我が家に遊びにきた時は少し不機嫌。でも、だんだん復活。いつも通り元気に。ところが、忘れていた習い事の時間に。パパと娘二人と長女を置いて出ることに。ちょっと勢いで出てしまったので後から申し訳なさが出てきたが、いつものナイスガイで、長女と一緒に出かけて、美味しいきなこもちをご馳走してくれた。ありがたや。