#65_「居る」ことを大事にする学校
砂場で熱中して遊んでいる子どもが、ふと、ふりかえる。
お母さんの姿を確認して、表情をゆるませる。
特に何か言うわけでもなく、特に何かを求めるわけでもなく、また、砂場で熱中して遊び始める。
確かに、そうだと思う。
息子がレゴに熱中している。
私はちょっと離れたリビングの机で本を読んだり、テレビを見たりしている。
ふとしたときに、息子と目が合う。
お互いに、ニヤッと笑う。
特に何か言うわけでもなく、特に何かを求めるわけでもなく、また、レゴに熱中して遊び始める。
この事態を明解に、そして、丁寧に言葉にしてくれている文章に出会いました。
一人で遊んでいる。だけど、本当は、一人で遊んでいるわけではない。
とても大事な言葉だと感じました。
本当に「ひとりぼっち」だったら、いろんなことが心配で、いろんなことが不安で、遊びに熱中するどころではなくなるはずです。自分自身の生存がおびやかされていると感じることもあるかもしれません。
身体的な距離が大事になるときもあるはずです。特に、子どもが小さいときは、目に見える範囲に「いる」ことが大事になるはずです。
子どもたちは、少しずつ、成長していきます。
心理的な距離が大事になるときもあるはずです。いつも、いつでも、会えるわけじゃない。いつも、いつでも、そばにいるわけじゃない。でも、ちゃんと、自分の心のなかに、誰かが「いる」――。そして、会おうと思えば、会える。会ってもらえる。会いに行ける。
私たちひとりひとりが、自分の心の中に、そんな人が「いる」状態をつくっていけるようになるといいなあと思います。
学校に来てくれる子どもたちに「よく来たね」と、「今日もいろいろとめんどくさいけど、まあ、なんとか夕方までここに居てみてよ」と、「今日もよーくがんばったね。疲れたでしょ。ゆっくり休んでね」と、「で、また、明日、会おうぜ」と、「でも、ほんとにきついときは、思い切って、休んでよ」と――そんなメッセージが伝わる学校がつくれたらなと思います。
学校に来てくれる子どもたちが「めんどいけど、今日も行くか」と、「まあ、なんとか学校に居てみるか」と、「けっこう、先生、見てくれてるのよね」、「先生、実は、私のこと、わかっちゃってるのよね」と、「何かまずいことがあれば、とりあえず、先生に言っとくか」と、「何も話題はないのだけれど、とりあえず、そばに居てみるか」と――そんな気持ちになれる学校がつくれたらなと思います。
その学校は、「いる」ことを大事にする学校です。
「ナスビの学校」の輪郭が、またひとつ、ハッキリしてきました。
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