“居る”
Ⅰ.従妹
「この家、何か"居る"気がする」
従妹が急にそんなことを言う。盆休みに実家へ帰省した僕のもとに、彼女は会いに来てくれたところだった。人の家でこんなことを言うなんて失礼な奴だが、これでも地元の小学校教諭である。
「だって、見て」と従妹はスマホの画面を見せる。
「ケータイの電波ぜんぜん無いの。おかしくない?!」
確かにアンテナは2本。僕も自分の電話を見る。こっちの表示は1本だ。
「ほんまや」と漏らすと、「でしょ、この家は前からそうなんよ。やっぱり何か"居る"わ!」なんて、質の悪いジョークを言う。たとえもし幽霊がいたとして、毎回電波障害が起きていたら現代は大パニックだろう。
しかしおそらく「この家で寝ていると、何度もおなじ人が夢に出てくる」と以前僕が話したのを彼女は覚えていて、それでこんなことを言っているのだと思う。
呆れていると、お盆にケーキを載せた母がやってきて、有名なパシティエが作ったらしいわよ、とあっという間に話題をさらっていった。
Ⅱ.兄
「兄ちゃんの名前には、"二"って漢字が入っとるやろ?」
兄が突然、そんなことを言い出したことがある。あれは彼が大学生の頃で、神戸でひとり暮らしをしている家に僕が遊びにいったときだったと思う。
僕らは歳の近いふたり兄弟で、僕はよく、家出をするみたいに兄の部屋に転がり込んでいた。六甲山から裾野を見下ろせるベランダが自慢のワンルームで、遠くには海が見える。
「名前の"二"を見て、もしかして次男ですか?なんて聞かれるときがあるんやけどな。なんか、変やなと思って」
我が家の長男は続ける。
「でな、ひろし(洋)の漢字にはさんずいが入っとるやん。それが"三"かもしれんと思って」
ハッとした。たしかにそうだ。でないと、洋の一文字でひろしとは読ませないような。
ふたり兄弟なのに長男が"二"で、次男が"三"。思い過ごしかもしれないけど、なにか理由がないとこんな奇妙な名前のつけ方はしないような気もする。この仮説が本当だとすると、もしかして。
「なぁ、"居る"気がせえへんか?僕ら以外の、誰かが」
Ⅲ.祖母(父方)
祖母についての記憶は無い。顔も覚えていない。彼女は僕が4歳のときに亡くなっている。ただ、僕らの名前をつけてくれたのはこの祖母だと、父から聞いたことがある。
お盆の夜。従妹が帰ったあと、夜のリビングにひとりでいると、父が1冊のノートを持ってきた。終活の一環として、自身の家系について資料をまとめているらしい。室町時代の先祖まで遡って、自分の血がどう繋がっているのかを紐解いているとか。
父はひと通り説明したあとで、ページをめくる手を止めた。声が小さくなり、ひそやかに語り始める。
「これはあんまり人に言うような話じゃないんやけどな。おばあちゃんの葬式のときの写真が、ちょっと」
次のページ。現像したフィルム写真が数枚、貼ってある。すべて祖母の葬儀を撮影したものだが、どの写真にも、至るところに、らせん状の赤い線が写り込んでいる。オカルト的に赤は警告色とされているそうだが、この形状は見聞きしたことがない。不気味だ。
最後の1枚はもっと異常だった。なぜか背景が真っ暗で、暗闇のなかに赤い棒状の何かが下から中央に向かって突き出している。それはほんのり発光しているようにも見える。
さらに暗闇の奥の方に目を凝らすと、その棒状の何かの向こう側に、人くらいのサイズの赤いもやが"居る"。赤い人らしき何かが、こちらを向いて立っている。
これは一体、何だろう。
「人に相談したりもしたんやけどな、これが何なのか、未だにわからんのや」
Ⅳ.父
父は、自身のお兄さんと縁を切っている。らしい。
らしいと言うのは、本人から直接聞いたことがないからだ。母からそう聞かされたことがある。昔なにかの事業をいっしょにやって揉めたとかで、今はお互いの住んでいる場所すら知らないそう。
父には弟が1人居る。実家の帳簿にも名前が載っているし、お年玉をもらったこともある。だけど、父のお兄さんについては顔も名前も知らない。本当に居るのかどうかも正直わからない。
ただ、父の名前には"二"の字が、父の弟の名前には"三"が入っていて、これは僕ら兄弟の件と似ている。どこかに、"一"が居てもおかしくない。
僕がその姿を認知していないだけで、ただ知らないだけで、本当はそこに"居る"かもしれない存在。40年近く家族をやっていても、こんなに知らないことがあるなんて。
それを確かめるかどうかは、自分次第だ。
Ⅴ.居る
家系ノートを読み終わったあと、思い切って父に尋ねた。
「ちょっと変な質問なんやけどさ、僕らの家系に女の子って居る?」
父の表情が固まった。そのまま2、3秒経って「そうか、ひろしには話してなかったか」とぽつりとこぼすように言った。
「ひろしたちが産まれる前の話やけどな、もう1人子供がおったんよ」
やはり"一"が居た。唾を飲み込む。
聞くと、水子というやつだった。母のお腹のなかの子は元気に生まれてくることができなかった。性別は分からなかったそうだが、両親はその子を女児だと信じていて、今も供養を続けているという話だった。
なるほど。それで次に産まれた子に"二"のつく名前をつけたのか。よほどの想いがあったに違いない。この出来事を秘めて、子供に話してこなかったのも、まぁ、愛情のひとつなのだろうと解釈した。
ひと通り話したあとで、次は父からの質問。
「ところでひろし、なんで女の子だと思ったん?」
Ⅵ.母
子供のころ、僕はよく怖い夢を見ていた。死神に首を刈られそうになったり、死体が浮かんでいる河原で得体の知れない何かに追いかけられたりと、恐ろしい内容だった。
そんな怖い夢を見るたびに、いつも同じ女の子が出てくる。5、6歳くらいの少女で、必ず紫陽花色の和服を着ている。気がつけばふと隣に居て、僕の手を引いて駆け出す。と思うと、その瞬間にパッと目が覚める。
何度も夢に出てきていたので彼女の顔も声もよく覚えている。顔立ちがすこし従妹に似ているから、もしかしたら親族に関わりがある人物かも、と思っていた。
「紫陽花色の服か」
父は思い出すように言う。
母が流産し、水子供養を行なった初夏。お寺の脇には紫陽花が群生していて、ちょうど大輪の花を咲かせている時期だった。そこでごめんね、ごめんねとつぶやきながら涙をこぼす母の姿を、父はいつまでも忘れられずにいるそうだ。
僕がお盆のあいだに触れた、家族の知らない一面の話でした。
読んでいただきありがとうございました。