「居る」「聞く」「話す」
「出す」と「入れる」が別のものだと初めて聞いたのは、大学のカウンセリングの場だった。
今、自宅近くのファミレスにいる。ごはんを食べて、2時間ほど、おしゃべりをした後、おしゃべりをした相手のメンバーさんをほったらかしにしてポメラモードに入っている。目の前のメンバーさんは、スマホを見ている。
この2時間「出す」と「入れる」。お互い、両方意識していると思う。確認はしてないけれど。
僕はこの2時間、少し聞くモードが強すぎたようだ。「書く」は「出す」なので、自分のこころの矢印が、内向きになっていて、すらすら書けない。
僕はかつて受験勉強を頑張った。あれは「入れる」だ。その後、貯めた燃料を演劇で「出した」ら褒められた。しかし、本当の演劇は「入れる」も必要だ。なので演出から「相手の言葉を聞け」とよく言われた。
その頃は、その意味が分からなかった。
あれから20年以上経って、これを書きながら、やっと分かりそうだ(あの頃の仲間、ごめん😅)。
何故、演劇の20代聞けなかったか。
私が、「居なかった」からだ。
例えば、全力ですべてを賭けて「話す・出す」をして、それを+100としたとする。同様に、全力ですべてを賭けて「聞く・入れる」をしたとすると、それは-100になる。その時、「居る」は±0の事だ。
「わたし」「居る」「入れる」「出す」
「あなた」「居る」「入れる」「出す」
私たちは、これらのバランスを気にしながら、「生きる」を、進めていくのだと、私は思う。
読んでくださって、ありがとうございました。では🙂。
(多くの人は、無意識にやっているのだろうか?)