文禄2年(1593)1月26日は文禄の役における碧蹄館の戦いで小早川隆景、立花宗茂らが漢城奪還を目指す明軍の李如松を破った日。明軍は騎兵中心の編成だったが戦場は狭隘な渓谷で前夜からの雨で足場も悪かったという。ここは強みを生かす場所か殺す場所かというのを見極めて臨めているかですか。
防衛予算増額で増税するぞ!と宣告する事で、誠実さを示したつもりだが、それが支持率で裏目に出た感じだ。岸田政権は聞く力というよりアドリブする力に偏っている。政策の中身は評価されるものの、パッケージが議論を呼ぶのは勿体ないな。絶えず変動する国際情勢で恒久的な財源確保が必要ならそれまで
慶長2年(1597)の今日6月12日は小早川隆景が65歳で亡くなった日。三本の矢の逸話のうちの一本。黒田如水が「日本に賢人が絶えた」と惜しんだ人。熟慮の人という印象があり、即断即決が苦手な身としては気になる武将。「分別の肝要は仁愛なり」は私が忘れてはいけない言葉。
永禄6年(1563)8月4日は毛利元就の嫡男隆元が急死した日。三本の矢の逸話の長男。偉大な父、優秀な弟二人へ劣等感からか弟達が自分を見下しているなど愚痴の手紙も残る。逸話の元ネタ「三子教訓状」は息子達の関係を心配し書かれた。人と比べて苦しむことは武将も同じなんですね。