戦国その25 毛利家の軍団長 吉川元春と小早川隆景の家臣団と軍団、毛利・村上水軍衆
吉川元春・小早川隆景の両川家の家臣団、村上水軍・毛利水軍のページです。
北条時政が伊豆・駿河・遠江守護の頃、頼朝の死(1200年)により後ろ盾を失い失脚した梶原景時は、一門を引き連れ京都に向かうが、駿河国清見関にて吉川(入江)友兼、飯田家義により打ち取られる。
(吉川党)
*吉川国経 (1443~1531)治部少輔・伊豆守。吉川経基の息。尼子経久の義兄。娘婿に毛利元就。1509年家督相続。1511年大内義興に従い、将軍・足利義稙の上洛に従軍。出雲の尼子経久と結び大内家と抗争。息・元経の死により、孫・興経を後見。89歳。息に元経、経長、経友、経世。<毛利元就を調略し、大内氏陣営から尼子家陣営に引き込む。>
(第2世代)
*吉川元経 (1459~1522)治部少輔。吉川国経の息。毛利弘元の娘婿。安芸北部から石見南部に所領を有する。1511年「船岡山の合戦」に参加。1517年安芸国の守護家・武田元繁の侵略に毛利家と結び対抗。「有田中井手の合戦」に勝利。尼子経久に服属。弟に経長、宮庄経友、吉川経世。妹婿に毛利元就。息に吉川興経。<祖父は「鬼吉川」吉川経基。>
▽宮荘* (*)下野守。吉川家侍大将。「有田中井手の合戦」に熊谷元直を討つ軍功。当主・興経の隠居に際し(毛利)元春の養子相続に、二宮右京亮・朝枝加賀守とともに反対し追放される。<宮荘、二宮、朝枝は尼子派なのでしょう。>
*大塚経長 (*~1518)吉川経長・大蔵大輔。吉川国経の息(2男)。備後の「赤屋の合戦」に戦死。
(第3世代)
*吉川興経 (1508~1550)治部少輔。吉川元経の息。安芸の国人・宍戸元源の娘婿。小倉山城主。親尼子派。1522年祖父・国経の後見で家督相続。市川経好と対立。1542年「月山富田城攻囲」に大内家を離反。1550年家臣団の謀反により隠居。義兄弟に武田光和、山県光頼、小笠原長雄。養子に吉川元春。
*大朝家経 (*~1542)吉川家経・播磨守。安芸国山県郡の豪族。吉川元経の庶長子。1542年謀反。家村城主。<微妙な時期の謀反です。>
吉川元春の家臣団と軍団
↑▼○吉川元春 (1530~1586)1547年吉川経世、森脇祐有に擁立され、1550年吉川興経を殺害し、母の実家・吉川家を相続。日野山城主。熊谷信直の娘婿。1541年尼子氏の攻撃を受け、家老・井上元兼の制止を払い11歳で「宮崎長尾の合戦」初陣。山陰地方の重鎮となる。1556年児玉就秋とともに「石見攻略」。1565年「月山富田城攻略」に吉川軍を率いる。1571年「因幡出征」。1580年因幡鳥取後詰。1581年鳥取城落城。1584年に隠居。羽柴秀吉との対立が深く、九州出陣に従うが豊前小倉で急死。57歳。
▽○宮荘元正 (*)福原元正。福原広俊の息(次男)。兄に貞俊。甥に元俊。義兄弟には桂元澄、口羽通良。吉川家一門の宮荘家を相続。吉川家重臣筆頭。<吉川の重臣・宮荘家も乗っ取った感じです。>
↑▽○児玉就秋 (*)弥七郎・木工丞・若狭守。児玉元実の弟。児玉元為の養子。1519年元服。毛利元就の側近。1535年「上里城攻略戦」。1540年「平賀攻撃」に従軍。1555年吉川元春とともに「防長出征」。石見方面を攻略。安芸飯山城の普請奉行。吉川元春と元就との連絡役を務める。
▽粟屋就幸 (*)伯耆守。粟屋元好の息。兄に粟屋元国。吉川元春の付家老。<分家の元良流にも就幸がいるので養子で入ったのでしょうか。>
▽口羽通平 (*~1592)善九郎・新左衛門尉・刑部大輔。朝鮮にて客死。<口羽通良の一門か。>
<吉川元春 一門衆(第2世代)>
▽吉川元長 (1548~1587)毛利元資・少輔次郎・治部少輔。元春嫡男。1565年毛利隆元のもとで出雲に初陣。1575年上月尼子攻め(吉川勢)。1575年「熊見川の合戦」対羽柴戦。1583年頃家督を譲られる。九州征伐の陣中にて没す。日野山城主。
▽粟屋就光 (*)1582年元長の命で、家老・香川春継とともに杉原景盛討伐に軍功。1586年高橋元種討伐に豊前香春嶽城を攻略。
▽吉川元氏 (1556~1631)三浦・仁保・繁沢・少輔三郎・伊勢守・毛利元棟。元春次男。最初、周防仁保氏の養子、跡職を娘婿・三浦元忠に譲り、1587年石見国浜田城主となり繁沢を称す。1575年上月尼子攻め(吉川勢)。息に元景。
▽吉川経言 (1561~1625)吉川広家・宮庄・次郎五郎・又次郎・民部少輔・蔵人・毛利広家。元春三男、吉川経家の養子。石見小笠原家から養子に請われるが、毛利本家の反対により実現せず。1575年上月尼子攻め(吉川勢)。1575年「熊見川の合戦」対羽柴戦。
▼小坂春信 (*)左衛門大夫。吉川経言(広家)の家臣。秀吉人質時代に付き添い上洛。
<吉川家 御由緒家・準一家>
(経安流)
○↓吉川経安 (*~1574)駿河守。吉川経家の実父。親大内派。1543年「月山富田城攻囲」に従軍。1561年福屋隆兼の謀反を鎮圧。井田殿村城主。1557年福光城主。1559年石見国物不言城主。
▽↓吉川経家 (1547~1581)千熊丸・小太郎・式部少輔。吉川経安の嫡子。1581年山名豊国が追放され、牛尾春重の負傷により因幡国鳥取城主。1581年7月羽柴秀吉の軍勢に包囲され、半年の籠城後に自害。35歳。息に経実。
▽↓河野元政 (*~1581)渡元政。伊予河野家一門。吉川経家の与力。「鳥取城の攻防戦」に戦死。<鉄砲衆の渡利元政と同一人物でしょうか。>
▽山県長茂 (*)吉川経家の小姓。因幡国鳥取城入城に従う。主・経家の自害を見届け帰還。
(経世流)
▲吉川経世 (*)伊豆守。吉川一門家。国経の息。森脇祐有とともに両家老。吉川興経を廃嫡。吉川元春の養子縁組に尽力する。安芸市川に転封。市川姓を名乗る。息に経好、経高。
今田経高 (*)吉川経高・上野介。吉川経世の息。兄に経好。吉川家家老職。吉川元春の養子縁組に尽力する。香川春継とともに吉川家家老。息に経忠。
吉川経久 (*)河内守。吉川経世の息。兄に経好。吉川家家老職。
↓○市川経好 (1520~1584)吉川経好・式部少輔・伊豆守。吉川経世の息。石(伊志)経守の娘婿。吉川興経の跡、吉川元春の養子縁組に尽力する。安芸市川に所領を与えれれる。毛利元就の信任厚く、1557年山口奉行。周防国高嶺城主。1578年に息・元教が大友氏に内通するが誅殺する。次男・元好が家督継承。
▽市川元教 (*~1578)少輔七郎。市川経好の嫡男。大友家の調略に応じ毛利家に叛乱する。父により討たれた。
▽市川元好 (*)市川経好の次男。兄・元教の叛乱により、家督を相続。
▽吉川隆久 (*~1581)市川高久・兵部少輔。市川経好の息。1581年「鳥取城籠城」。落城自害する。
<元春・元長 御由緒家・準一家>
(熊谷党)
熊谷信直 (1506~1593)兵庫頭・兵庫助・伊豆守。安芸国人。元武田氏家臣。吉川元春は娘婿。武田光和、三須房清は妹婿。弟に直続。1533年妹が離縁され武田光和と対立し、毛利氏に臣従。1543年「出雲遠征、赤穴攻撃」に弟・直続が戦死。1551年大内義隆自害後、吉川元春与力。1565年「月山富田城攻略」に吉川軍。1570年尼子勝久の蜂起に出雲出陣、「布部山の合戦」に勝利。安芸三入荘の領主。高松城主。87歳。息に高直、直清、広真、(三須)経隆、就真。娘婿に天野元明、山内隆通、香川広景。
▽熊谷直続 (*~1543)熊谷一門衆。1533年武田光和軍を撃退。
▽末田直忠(*)熊谷家家臣。1533年武田光和軍を撃退。一門の直久とともに従軍。
▽岸添清直 (*)熊谷家家臣。1533年武田光和軍を撃退。
▽水落直政 (*)熊谷家家臣。1533年武田光和の攻撃を、熊谷直続とともに出陣し撃退。
▽熊谷高直 (*)旧武田家家老。熊谷信直の息。吉川元春の義兄弟。1565年「月山富田城攻略」に吉川軍。1570年尼子勝久との出雲「布部山の合戦」に輝元軍。
▽熊谷広真 (1537~1570)熊谷広実・右近大夫。信直の息(3男)。吉川元春の義兄弟。出雲に従軍し本城常光の死後、須佐高矢倉城主。1568年「北九州遠征」の隙に旧領奪回で蜂起した尼子勝久軍に攻囲されるが撃退する。出雲須佐高屋倉城主。
▽↓三須隆経 (*)熊谷隆経・兵部。信直の息(4男)。吉川元春の義兄弟。三須房清の養子。1580年美作国医王山(祝山)城主。浮田軍を撃退。
▼熊谷元直 (1555~1605)次郎三郎・豊前守・メルチョル。熊谷高直の息。吉川元春に従い因幡鳥取大崎城後詰軍。1587年キリスト教入信。1605年一族とともに粛清される。<黒田如水の影響で切支丹になった影響でしょうか。>
(益田党)
↓益田元祥 (*)次郎・越中守。石見国人。大内家旧臣・益田藤兼の次男、吉川元春の娘婿。毛利元就が烏帽子親。防長雲石筑の五カ国に所領を持つ。1557年毛利家に従う。1575年上月尼子攻め(吉川勢)。12500石。毛利家永代家老。
<吉川家 譜代家老衆>
福原広俊次男は吉川家家老・宮荘家を継承。
▲森脇祐有 (*)吉川家筆頭家老。寺原与谷城主。吉川興経を隠居させる。吉川元春の養子縁組に尽力する。
森脇春尚 (*)内蔵大夫。山県康政とともに本城大蔵を誅殺。
森脇春方 (*)一郎右衛門・飛騨守。吉川家家臣。石見国方面担当。二宮俊実と本城常光を討つ。1565年「月山富田城攻略」に吉川軍。三子山城主。<『森脇覚書』を遺す。>
森脇* (*)弥四郎。出雲遠征に従軍。「熊野城攻囲」の撤退戦に軍功。
山県政芳 (1543~1558*1560)小七郎・物頭。吉川家家臣。吉川元春の信任厚く、石見国銀山城主となる。篭城戦の末、尼子の湯惟宗軍に突撃し討死。
山県春勝 (*)吉川家家臣。1558年石見方面での大森銀山を巡り尼子氏との抗争、1558年山吹城救援に二宮俊実とともに「忍原の合戦」に武功。1565年「月山富田城攻略」に吉川軍。
山県春直 (*)左京亮。吉川家家臣。石見銀山の接収。1569年大内輝弘の挙兵に「湯田縄手の合戦」で撃破する軍功。
山県康政 (*)越前守。吉川家家臣。本城常光降伏の取次ぎ。森脇春尚とともに本城大蔵を誅殺。小早川家の井上春忠とともに安国寺恵瓊の上洛報告の取次ぎ。
二宮俊実 (1522~1603)木工助。吉川家家臣。1555年「厳島の合戦」で陶家武将・三浦房清を討ち取る。1558年石見方面での大森銀山を巡り尼子氏との抗争、山吹城救援に山県春勝とともに「忍原の合戦」に武功。森脇春方と本城常光を討つ。1565年「月山富田城攻略」に吉川軍。<武名高い吉川家でも特に猛将として知られる。><『二宮覚書』を遺す。>
朝枝久種 (*)加賀守。吉川家家臣。市川春俊とともに因幡鳥取城の援軍として、鳥取入城。
伊志春盛 (*)石・美作守。吉川家家臣。吉川広家の家老。広島城築城に参加。
▲境 春通 (*)雅楽助。吉川家重臣。吉川興経を隠居させる。吉川元春の養子縁組に尽力する。
境 春時 (*)吉川家家臣。出雲遠征に従軍。「熊野城攻囲」の撤退戦に軍功。大内輝弘の首級を元就に届ける使者。
境 春頼 (*)孫六。吉川家家臣。出雲遠征に従軍。「熊野城攻囲」の撤退戦に軍功。
境 経貫 (*)吉川家家臣。石見国人の「福屋隆兼の反乱」に鎮圧軍。
↓境 経俊 (*)孫右衛門尉。吉川家家臣。伯耆河岡城主。伯耆国人・山田満重の後援に派遣される。三村家親と同盟し南伯耆の一揆を鎮圧。
<吉川家 与力国人衆>
↓○杉原盛重 (1532~1581)行松・播磨守。備後国人。山名理興の家臣の家臣。理興の死後、毛利氏に神辺城主に指名される。1565年「月山富田城攻略戦」に小早川軍。吉川元春に従い、1575年因幡尼子攻めに勲功。1575年「熊見川の合戦」対羽柴戦。のちに伯耆国人・行松正盛の跡職を継承。伯耆国泉山城主。
↓▽杉原元盛 (*~1581)杉原盛重の息。父が伯耆国泉山城主となった後、備後神辺城を守備する。1581年毛利氏により改易される。伯耆国尾高城主。<羽柴秀吉の調略によるものか>
↓▽杉原景盛 (*~1582)杉原盛重の息。1581年兄と家督を争い改易される。伯耆国八橋城主。のち伯耆国佐陀城主。1582年南条氏に通じ吉川元長の派遣した香川春継、粟屋就光の討伐軍により討たれる。<羽柴秀吉の調略によるものか>
⇔▽森脇久仍 (*)東市正。尼子氏旧臣、1575年因幡国で捕虜。杉原盛重の進言により、元春家臣に加えられる。出雲布部山城主。
↓▽香川春継 (1545~1619)旧武田家老職家。安芸の国人・香川光景の息。兄に広景。日野山城にて吉川元長と共に育ち、元長の家老職となる。1565年「月山富田城攻略戦」に吉川軍。1569年尼子勝久・三浦貞広軍の攻撃に対し美作高田城主、安達信泰の援軍として派遣される。1586年九州島津征伐に従軍。粟屋就元とともに豊前国の香春獄城を攻略。息に家景。<吉川元春から「春」の字を与えられる猛将。>
↓▽井下朝兼 (*)新兵衛尉。石見衆。元・福屋家家臣。吉川元春の攻撃に降伏帰順。のち「四国攻め」の先陣大将。
↓○牛尾春重 (*)元貞。吉川家家臣。因幡若桜鬼ケ城城主に抜擢される。山名豊国の追放後に鳥取城主に抜擢されるが、負傷し本国に帰還。
↓○上山元忠 (*)兵庫介。本城常光の誅殺後に、吉川経安、平佐就之(銀山奉行)、山県左京とともに山吹城を攻略。石見国山吹城主。1582年桂広繁とともに備中表に出陣。のち備中鴨庄城主。
⇔↓清水宗知 (*~1582)備後守・左近将監・月清入道。清水宗則の息。九州の陣に一手の将。備中「高松籠城戦」に弟・宗治とともに籠城。
<吉川家の軍団>
<因幡侵攻吉川軍団、『陰徳太平記』登場>
田公高清 (*~*1581)備前守。1580年鳥取城攻囲の織田軍により攻撃され降伏。のち大崎城は吉川軍により奪還される。因幡大崎城主。<因幡波多野氏と縁があるとも。>
↑益田元祥 (*)越中守。1580年吉川軍による因幡鳥取城後詰に従軍。
三沢* (*)摂津守。1580年吉川軍による因幡鳥取城後詰に従軍。
三刀屋* (*)弾正左衛門。1580年吉川軍による因幡鳥取城後詰に従軍。
湯 * (*)佐渡守。1580年吉川軍による因幡鳥取城後詰に従軍。
天野元珍 (*)新兵衛。1580年吉川軍による因幡鳥取城後詰に従軍。
↓杉原元盛 (*)弥八郎。兄弟で吉川軍の先陣大将。藤井氏からの「神辺城奪回戦」に軍功。1580年吉川軍による因幡鳥取城後詰に従軍。1581年弟に害され死去。
↓▽杉原景盛 (*)又次郎。兄弟で吉川軍の先陣大将。藤井氏からの「神辺城奪回戦」に軍功。1580年吉川軍による因幡鳥取城後詰に従軍。1581年兄・元盛から家督を奪う。
佐波守兼 (*)越後守。1580年吉川軍による因幡鳥取城後詰に従軍。
富永保英 (*)三郎左衛門。1580年吉川軍による因幡鳥取城後詰に従軍。<室町初期に大内家家老として富永氏。><足利幕府創業に活躍した設楽系富永氏が何かの縁で大内家被官となるか?>
周布元城 (*)十兵衛。1580年吉川軍による因幡鳥取城後詰に従軍。
都野* (*)駿河守。1580年吉川軍による因幡鳥取城後詰に従軍。
(小早川党)
*沼田興平 (*~1526)小早川・又太郎・掃部助。沼田第14代。小早川家惣領家。沼田扶平の息。竹原弘平養子に迎えられた次弟は夭折。弟に義氏、舟木常平。息に正平。22歳。高山城主。
*↓▽沼田正平 (1523~1543)小早川正平・又太郎・掃部助・掃部頭・備後守・美作守・詮平。沼田第15代。小早川家惣領、興平の嫡男。家督相続時4歳の為、家政は一門の椋梨盛平が後見する。1543年大内家の出雲遠征に従い、「月山富田城攻囲」に従軍。出雲にて戦死。21歳。息に繁平。高山城主。小早川隆景が跡職を継承する。
*▼沼田繁平 (*~1574)又太郎・采女正・元平。沼田第16代。妹は小早川隆景の妻。3歳より盲目の武将。尼子氏に通じたことから大内氏の意向により失脚。1550年竹原・小早川隆景に家督を奪われ出家する。
▽乃美景興 (1513~1598)弾正忠。沼田家家老。乃美隆興の息。親大内派。竹原家を相続した小早川隆景を擁立し、田坂全慶と対立する。
*▽田坂義詮 (*~1550)摂津守・全慶。小早川家庶流。沼田家家老。親尼子派。繁平を後援し、小早川隆景支持派と抗争する。大内義隆の采配で隆景が相続し、大内家老・弘中兼隆により誅殺される。
(小早川庶流 竹原家)
*竹原弘平 (*)小早川・又四郎・中務少輔・安芸守。竹原弘景の息。息に興景。小早川扶平の次男を養子に迎えるが夭折。
*▽竹原興景 (1519~1541)小早川興景・四郎・中務少輔。弘平の息。毛利興元の娘婿。「銀山城攻略戦」に戦死。小早川隆景が跡職を相続する。竹原城主。
小早川隆景の家臣団と軍団
↑▼○小早川隆景 (1533~1597)毛利隆景。1543年竹原小早川興景(1519~1541)の跡を相続し竹原城主。沼田小早川正平の跡職を家老・乃美宗興に推されて相続し高山城主。1547年・山名理興の「神辺城攻略」に初陣。1555年「厳島の合戦」に能島・来島水軍を調略。1571年備前の浦上宗景を撃退。1575年石山本願寺の救援で、織田家と争う。猶子に堅田(粟屋)元慶。1593年朝鮮で李如松を破る。弟・秀包を養子としていたが、羽柴秀秋に譲る。三原城主。65歳。
▽○桂 景信 (*)右衛門大夫・左衛門大夫。桂元澄の息(4男)。毛利家からの隆景付き四家老。小早川一門と肩を並べる重臣。小早川軍旗頭。1580年備中衆の湯浅将宗、長井親房、粟屋右衛門を率いて「祝山城後詰」。備前「幸川口の合戦」に浮田軍に敗北。
▽桂 景種 (*)宮内少輔。小早川隆景家臣。奉行衆。<桂景信の一門でしょうか。>
▽○井上春忠 (*)又右衛門・伯耆守。井上資明の息。毛利家からの隆景付き四家老。隆景奉行人筆頭。水軍衆。1558年出雲富田城からの殿軍を勤める。1561年豊後大友水軍との合戦に軍功。第一次「木津川河口の海戦」に参加。讃岐出兵戦。隆景の死後、毛利家に復帰するが外様扱いにより出奔。息に景貞。
井上元有 (*~1550)井上党。弟・元重とともに小早川隆景により暗殺される。息の与四郎も誅殺される。
▼井上景貞 (*)五郎兵衛。井上春忠の息。毛利家からの家臣。小早川軍の先陣大将。隆景の死後、毛利家に復帰するが外様扱いにより出奔。
▽井上利宅 (*~1576)毛利家からの隆景付き四家老。<春忠の一門でしょうか。>
▼井上景家 (1568~1636)井上利宅の息。隆景の旗元御旗奉行。四国、朝鮮に従軍。
▽粟屋盛忠 (*)粟屋元好流の分家。粟屋元方の息。毛利家からの隆景付き四家老。次男の元貞は摂津木津城将・粟屋元種の養子。息に元信、新見景行、景雄。
▼粟屋景雄 (*)粟屋盛忠の息。毛利家からの家臣。粟屋元貞の弟。小早川軍の先陣大将。隆景の死後、毛利家に復帰するが外様扱いにより出奔。
▽粟屋元利 (*)隆景の家臣。1582年三原城代官。
▽末永景道 (*)隆景の家臣。1582年三原城代官。
▽児玉景栄 (1557~1579)児玉就方の息。隆景の家臣。美作国の宮山にて戦死。
↑岡 就栄 (*)奈須就栄・与三衛門尉・和泉守。元就の側近。隆景の家臣。備後明知城主。<岡光良は一門か。>
河内義信 (*)筑後守。安芸国佐伯郡の豪族。長義の息。隆景の家臣。安芸土井岡城主。
河内煕資 (*)備後守。隆景の家臣。
<小早川家一門衆>
竹原家、沼田家の家老衆が合体。
梨子羽宣平 (*)梨羽。沼田小早川家臣。重臣筆頭。平賀興貞次男を養子に迎える。
椋梨弘平 (*)藤次郎・治部少輔・常陸守・張平。沼田小早川一門。香川春景の娘婿。重臣筆頭。備後高杉城攻略に隆景に従い出陣。
▽椋梨景良 (*)沼田小早川一門。弘平の嫡男。隆景死後は毛利家に仕官。
↑↓○乃美宗勝 (1527~1592)浦宗勝・新四郎・兵部丞・備前守。浦賢勝の息、沼田小早川一門。1555年「厳島の合戦」に能島・来島水軍を調略。1560年豊前門司城奪回に出陣。1561年(大友方ポルトガル船の艦砲射撃)大友水軍を破る。門司城の攻防戦で大友方の伊美弾正と一騎打ちに勝利。1569~1570年九州筑前立花城に駐屯。1575年上月尼子攻め、水軍衆(小早川勢)。1576年第一次「木津川河口の海戦」に参加し織田水軍を撃破。讃岐出兵戦。水軍衆。高山城主。安芸国賀儀城主。66歳。
▽乃美元信 (*)浦。宗勝の弟。義兄弟に白井賢胤、村上吉充。1557年小早川隆景から鉄砲の鉛玉を手配するよう依頼される。
▽乃美盛勝 (*~1582)浦・少輔四郎。宗勝の息。山本宗玄親子の後見で備中国宮地山城主。羽柴秀吉の調略により、小早川隆景に誅殺される。兄弟に景継、景勝、景嘉、景尚、磯兼景綱。
▽山本宗玄 (*)乃実(浦)宗勝の家老。幼い盛勝を後見。羽柴秀吉に通じる。
生口景守 (*)刑部丞。生口島の豪族。小早川一門。水軍衆。豊前「蓑島沖の海戦」に従軍。第一次「木津川河口の海戦」に参加。備後国、俵崎城主。<「厳島合戦」に従軍した安芸海賊、生口景宗の一門か。>
磯兼景道 (*)椋梨・末長又三郎・左近大夫・景通。小早川庶家、椋梨・末長家出身。竹原小早川家家臣。備後に所領を得て磯兼姓。杉原忠興攻撃に軍功。1555年「厳島の合戦」に負傷しつつも武功。1582年三原城留守居。
国貞景氏 (*)小早川・助九郎・神左衛門。小早川庶家。沼田小早川家臣。包久景相とともに普請奉行。鉄砲衆を指揮。のち三原城築城。
真田* (*)大和守。小早川庶家。沼田小早川家臣。
<小早川家 譜代家老衆>
竹原家、沼田家の家老衆が合体。
↑包久景勝 (*)五郎・宮内少輔。小早川家家臣。水軍衆。第一次「木津川河口の海戦」に参加。1583年四国渡海。伊予中野城在番。
▽包久景相 (*)小早川家家臣。国貞景氏とともに普請奉行。
▽包久景真 (*)小早川家家臣。のち毛利家直参。
木梨元恒 (*)小早川配下。水軍衆。1576年織田水軍を撃破。第一次「木津川河口の海戦」に参加。
桑原元勝 (*)小早川配下。水軍衆。1576年織田水軍を撃破。第一次「木津川河口の海戦」に参加。
白井賢胤 (*)縫殿助・越中守・房胤。大内海賊衆。大内、陶氏、毛利氏に出仕。隆景の配下で、織田方の来島通総と戦う。
↑▼冷泉元満 (*~1597)小早川配下。水軍衆。讃岐出兵戦に従軍。1597年末次元康に従い朝鮮渡海。蔚山城にて客死。
手嶋景繁 (*)孫十郎。竹原小早川家家臣。小早川隆景家臣。奉行衆。朝鮮出兵に名島城留守居。
(小早川外様・隆景側近衆)
隆景登用。
飯田尊継 (*~1590)讃岐守。元・京都公卿衆。安芸に下向。隆景の家臣。1582年三原城代官。息に景利。
鵜飼元辰 (*~1599)新右衛門尉。元・近江の猿楽師。隆景の側近として重用される。
宇野元弘 (*)陶元弘。陶隆康の息(次男)。小早川隆景に降伏し所領を周防吉敷に与えられる。宇野を姓とする。1557年周防「沼城攻略戦」に従軍。江良氏を討つ軍功。<毛利家直属か?>
↓国弘高実 (*)隠岐守。石川久孝が討たれたのち、隆景の命で備中国幸山城主に抜擢される。
白井賢胤 (*)元・大内家臣。大内水軍衆。陶晴賢に従い「厳島の合戦」に敗北。のち隆景に降伏臣従。安芸仁保島城主。
▽白井晴俊 (1546~1587)縫殿允。賢胤の息。小早川家の水軍衆。「九州遠征」に従軍。「日向高城攻撃」に戦死。
末長景盛 (*)左近太夫・常陸介。元・村上水軍所属。のち小早川家の水軍衆。乃美宗勝の息・景綱を養子とする。安芸堀ケ城城主。<磯兼景通とは別人か。>
杉原元恒 (*)木梨・民部大輔。備後国人。1572年父・杉原隆盛が戦死。小早川家の後援で石原忠直を討ち領地を奪還。備後鷲尾山城主。
<能島水軍>
*毛利家家臣ではない
*村上雅房 (*)山城守。義顕の息。細川政元により追放された将軍・義材を保護、1511年大内義興とともに将軍の上洛に従軍。「播磨の陣」に先陣を務め軍功。
▽*村上隆勝 (*)宮内大輔・山城守。能島村上氏。雅房の息。細川高国、大内義興と結び、讃岐国塩飽島に進出。瀬戸内海の交易権を確保する。のち細川晴元、河野通直と結び、高国と対立。1532年大友義鑑、尼子経久、安芸の武田光和、熊谷膳直、伊予の河野通直と結び、大内氏と抗争。息に義雅。
*村上義雅 (*~1546)山城守。能島村上家当主。隆勝の息(長男)。反大内派。父に先立ち早世。息に義益。
*▽村上義益 (*)宮内少輔。能島村上氏。義雅の嫡子。従兄弟の武吉と家督を争う。親大内派の叔父・隆重が武吉を後援し、家督相続に敗れる。
*村上義忠 (*)掃部頭。能島村上氏。隆勝の息(2男)。義雅の弟。義益の家督に対し、息・武吉が対立。息に武吉。
*村上隆重 (*)左近大夫。能島村上氏。隆勝の息(3男)。義雅の弟。親大内派。甥の隆重を擁立し、義益を追放する。息に景広。
⇔村上武吉 (1532*1533~1604)大和守・武慶。能島村上氏。義雅の弟・村上義忠の息、通康の娘婿。1547年当主・村上義雅の息・義益と家督を争う。1555年「厳島の合戦」に毛利軍に助力(当時23歳)。水軍衆。1569年頃から浦上宗景と同盟し、1571年毛利氏から離反。1576年織田水軍を撃破。第一次「木津川河口の海戦」に参加。1582年来島通総が織田信長に通じる。1588年「海賊禁止令」により勢力を失う。小早川配下。息に元吉、景親。<本家・山城守に対して、大和守を称するか。>
▽大野直政 (*)兵庫。能島村上氏家臣。村上武吉の家老。織田軍との交渉役。羽柴秀吉に村上家の寝返りを依頼される。
▽片山連総 (*)数馬。能島村上氏家臣。村上武吉の家老。村上家舟奉行。安芸片山城主。
<第2世代>
村上元吉 (*~1600)能島村上氏。武吉の息。弟に景親。小早川隆景の娘婿。小早川配下。水軍衆。讃岐出兵戦。息に元武。
村上景親 (*)源八郎・三郎兵衛。能島村上氏。武吉の息(次男)。1575年上月尼子攻め、水軍衆(小早川勢)。息に元信。<小早川の影響、「景」の字。>
村上隆重 (*)宗勝。能島村上氏。村上隆勝の弟。1555年頃、宗家の掃部義忠の為に、能島の対の拠点として本土側の備中笠岡山城を改修する。備中笠岡山城主。
村上景広 (*)少輔五郎・八郎左衛門・弾正・成豊。能島村上氏。村上隆重(武重)の息、武吉の従兄弟。小早川家家老・椋梨弘平の娘婿。1575年上月尼子攻め、水軍衆(小早川勢)。1575年から備後鞆浦の足利義昭の警固衆を勤める。1576年織田水軍を撃破。第一次「木津川河口の海戦」に軍功。天神山城主。73歳。
<因島村上氏庶流 備後村上氏>
↓○村上亮康 (*)左衛門大夫。因島村上氏。1575年から備後鞆浦の足利義昭の警固衆を勤める。1576年第一次「木津川河口の合戦」に従軍。織田水軍を破る軍功。備後大可島城主。
<因島水軍>
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